「同労者」第25号(2001年10月)                          目次に戻る

聖書講義

 − 昨日のサムエル記 (その17) 
仙台聖泉キリスト教会  牧師 山本 嘉納


   最近、感謝なことに誕生日を迎えた。早いものでいよいよ自分の顔に責任を持たなけれ
ばならない年齢になった。教会の大切な責任も与えられてきている。畏れと謙りをもって仕えさ
せていただこうと思う。前回でサムエル記Tからのお話を終わりとし、今回からサムエル記U
に入ることにする。サウル王が死に、イスラエルには王がいなくなった。いよいよダビデの順番
かと思うとそうではないことが聖書に書かれている。信仰を知らない人と、知っていても行なうこ
との出来ない人を試すのに良い方法は、時間というテストである。与えられた約束とそれに対
する確信をもって黙ってその成就を待つことは簡単なことではない。特に先行きに暗雲が垂れ
込めると、いても立っても入られなくなる。先日、山田大兄が伝道会で説教をした。聖言は哀歌
の3章29から31節「人が、若い時に、くびきを負うのは良い。それを負わされたなら、ひとり黙
ってすわっているがよい。口をちりにつけよ。もしや希望があるかもしれない。」から、神の豊な
お扱いに対して真摯に取り組みつつ、謙って希望が与えられることを待ち望む幸いが語られて
いた。言うのは簡単だが時間の経過の中で信仰をもって忍耐することは容易ではない。ダビデ
はまずユダ部族に認められ彼らの王となった。30歳の時であると聖書は伝えている。彼は少
年と言われていた時代に預言者サムエルに油注がれ、将来イスラエルを治める王となること
が約束された。当初、聖霊の満たしによって考えられないほどの活躍をし、多くの者にもては
やされ期待されたダビデだったがサウル王のねたみが表面化するにしたがって人々の彼に対
する扱いは変わった。一部の取り巻きを除いて彼を支持する者はいなくなっていた。おまけに
サウルに追われ亡命生活をも余儀なくされたのである。15年から20年近い年数、神はダビデ
を扱い訓練なさった。王立大学や預言者学校での訓練や学びではなく、戦争と荒野、敵の只
中での実践によるそれであった。厳しい時間との戦いであっただけにサウルの死は、ダビデの
将来に対する問題をすぐに解決してくれるはずであった。しかし、結果は尚、待つこと7年半で
ある。このタイミングが誘惑する者にとっては最高の機会である。「お前は十分耐え忍んだ。い
よいよお前の力を発揮する時が来た。さあ、神の権威を振るってお前の好む所を行なえ。」 
彼の脳裏に響く声なき声である。また、彼と共に永い逃亡生活を耐えた取り巻きからも「ご命
令を頂ければ私が、イスラエル中にあなたが新しいイスラエルの王になられたことを布告して
参りましょう。」というような言葉が聞かれたことだろう。聖書を見てみよう。サムエル記U、2章
1節に「この後、ダビデは主に伺って言った。『ユダの一つの町へ上って行くべきでしょうか。』
すると主は彼に、『上って行け。』と仰せられた。ダビデが、『どこへ上るのでしょうか。』と聞く
と、主は、『ヘブロンへ。』と仰せられた。」と書かれている。ダビデのここまでの訓練の成果は、
積極性と慎重さとの絶妙なバランスである。彼は、この時に何もしないでいるのはよくないとし
て次の行動に移るべき積極性を持っていた。同時に神に伺いを立てると言ういつもと変わらな
い信仰者としての姿勢を忘れなかった。当然、神の御旨を優先すべきであること、それが幸い
であることはここまでの神との関わり合いで十分に味わっている。しかし、神の御旨は彼が期
待していたものではなかったために動揺は見られた。先ほども書いたように実際、彼を王とし
て迎えたのはユダ族だけであった。
ダビデを特別な人と考えるより、私達の身近にいる誰かに置き換えることが出来たなら学ぶこ
とは多分もっと多くなるだろう。自分と置き換えて考えることが出来たら尚一層良い。実際にダ
ビデのこの時に置かれていた情況とそれを巧みに生き抜く彼の様はまさしく今の時代を必死で
生きている信仰者の私達のそれである。さっきの続きの聖言を読んでみると「ダビデはヤベシ
ュ・ギルアデの人々に使いを送り、彼らに言った。『あなたがたの主君サウルに、このような真
実を尽くして、彼を葬ったあなたがたに、主の祝福があるように。今、主があなたがたに恵みと
まことを施してくださるように。この私も、あなたがたがこのようなことをしたので、善をもって報
いよう。さあ、強くあれ。勇気のある者となれ。あなたがたの主君サウルは死んだが、ユダの家
は私に油をそそいで、彼らの王としたのだ。』」(サムエル記U 2:5〜7)とある。ヤベシュの人々が
敵ペリシテによってさらし者とされていたサウルとその子達の遺骸を、命を掛けて取り戻し、丁
重に葬ったことに対してのダビデの賛辞である。最後の一説が特に重要である。これが無けれ
ばきっとサムエル記Uの記者はこのことをここに記さなかったであろう。ダビデの動揺とうず
き、信仰者の苛立ちがにじみ出ている。彼はヤベシュに近いマハナイムで行なわれている新た
な動きに対して政治的牽制を行なった。「一方、サウルの将軍であったネルの子アブネルは、
サウルの子イシュ・ボシェテをマハナイムに連れて行き、彼をギルアデ、アシュル人、イズレエ
ル、エフライム、ベニヤミン、全イスラエルの王とした。」(同2:8〜9)彼がここまで一途に信頼
し、彼を支え導いた神をもって人々に語るもそれを受ける人々が神を第一にしていなければそ
れ自体権威とはならないのである。神に油注がれたサウルに対するダビデの姿勢は、サウル
がいかに愚かで不適格な人物だとしても神を畏れる故に自らの手を下すことを止めた。その
信仰のレベルでイスラエルの民が歩んでいたなら神は彼らの故にペリシテ戦に勝利を与えた
であろう。しかし、実際は民もまたサウルと同じレベルで神を認め、神を利用していたに過ぎな
いのである。ヤベシュの人々の行動もサウルの人間的優秀さに対する敬意であるし、サウル
亡き後のイスラエルにおける自らの立場を計算してのことのようにも考えられるのである。
私達は、神の御旨を自分中心でしか捉えることができないし考えることもできない。それは信
仰の真の醍醐味ではないし、それらから脱出することが私達に期待されている聖潔の境地で
ある。ダビデはこの後7年半をかけて全イスラエルの王となるための仕上げの訓練を受ける。
彼自身はこの時点でもう十分、受けるべき訓練を履修したと考えたことだろうが不信仰なこの
民を愛と哀れみと忍耐を持って導く為には尚精進が必要だったのである。ダビデは勿論である
が、神は愛する彼の民イスラエルのためにダビデと共に時間をかけて備えて下さるのである。



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