「同労者」第25号(2001年10月)                      目次に戻る 

Q&Aルーム

 信仰生活のこと、教理上の疑問など様々なことについて、誰かに聞いてみたいことがおきてく
ると思います。教会の先生に伺うことは勿論一番ですが、それを独り占めしないで、すこし公開
してください。それを皆で考えると、きっと皆さんにとって益になると思います。
質問の送付先は巻末にあります。



 Q&Aルームの質問を考えていただけたでしょうか。今月もまず先月の質問の回答例を取り
あげますので御自分の回答と比較してみて下さい。

先月の質問の回答例(作成者:野澤)
 9月号の質問は
1.先月の質問の回答例にある神(エホバ、主)の顕現の実例を述べてください。
でした。
 この問題は旧約聖書を読んで理解する上で大切です。キリスト教は宗教であって、人間どう
しだけのことを取り上げているのではありません。歴史には神が関わっておられ、神の働きを
する天使が関わっており、また神に敵対する者サタンとその配下の悪霊たちが関わっていま
す。
 イエスが受肉されて真の人間としてこの世においでになるはるか以前、神の使者として人間
の前にお立ちになった記事が旧約聖書に多数記されています。人間の姿をとってお現れなさ
いましたが、まだキリストとして人間の世界にこられる以前のことですから、単なる顕現であっ
て、霊である天使が人間の姿をとって人間に神の御心を語ったり、行ったりしたものと変わりま
せんでした。その実例をいくつかご紹介いたします。

 ・サラにいじめられて逃亡したハガルに現れた方(創世記16:7〜14)
 …主の使いは、荒野の泉のほとり、シュルへの道にある泉のほとりで、彼女を見つけ、「サラ
イの女奴隷ハガル。あなたはどこから来て、どこへ行くのか。」と尋ねた。彼女は答えた。「私
の女主人サライのところから逃げているところです。」そこで、主の使いは彼女に言った。「あな
たの女主人のもとに帰りなさい。そして、彼女のもとで身を低くしなさい。」また、主の使いは彼
女に言った。「あなたの子孫は、わたしが大いにふやすので、数えきれないほどになる。」さら
に、主の使いは彼女に言った。「見よ。あなたはみごもっている。男の子を産もうとしている。そ
の子をイシュマエルと名づけなさい。主があなたの苦しみを聞き入れられたから。彼は野生の
ろばのような人となり、その手は、すべての人に逆らい、すべての人の手も、彼に逆らう。彼は
すべての兄弟に敵対して住もう。」そこで、彼女は自分に語りかけられた主の名を「あなたはエ
ル・ロイ。」と呼んだ。それは、「ご覧になる方のうしろを私が見て、なおもここにいるとは。」と彼
女が言ったからである。それゆえ、その井戸は、ベエル・ラハイ・ロイと呼ばれた。それは、カデ
シュとベレデの間にある。…
 この「主の使い」(16:7)が神ご自身であることは、「あなたの子孫は、わたしが大いに増やす
…」(16:10)という神の宣言を「わたしは」と表現していること、ハガルがその方をエル・ロイ(16:
13にその意味が解説されています)と云ったことからこのお方が主であるとわかります。

 ・ソドムの滅亡の直前にアブラハムに現れた三人の人の一人(創世記18:1〜33)
 …主はマムレの樫の木のそばで、アブラハムに現われた。彼は日の暑いころ、天幕の入口
にすわっていた。 彼が目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。彼は、見るな
り、彼らを迎えるために天幕の入口から走って行き、地にひれ伏して礼をした。そして言った。
「ご主人。お気に召すなら、どうか、あなたのしもべのところを素通りなさらないでください。少し
ばかりの水を持って来させますから、あなたがたの足を洗い、この木の下でお休みください。
私は少し食べ物を持ってまいります。それで元気を取り戻してください。それから、旅を続けら
れるように。せっかく、あなたがたのしもべのところをお通りになるのですから。」彼らは答え
た。「あなたの言ったとおりにしてください。」
… 
その人たちはそこからソドムのほうへと進んで行った。アブラハムはまだ、主の前に立ってい
た。アブラハムは近づいて申し上げた。「あなたはほんとうに、正しい者を、悪い者といっしょに
滅ぼし尽くされるのですか

彼はまた言った。「主よ。どうかお怒りにならないで、今一度だけ私に言わせてください。もしや
そこに十人見つかるかもしれません。」すると主は仰せられた。「滅ぼすまい。その十人のため
に。」主はアブラハムと語り終えられると、去って行かれた。アブラハムは自分の家へ帰って行
った。

 この方々は三人で顕れました。アブラハムのもてなしを受け、サラに子どもができることを告
げました。その後ひとりだけアブラハムの前に立たれ、残りの二人はソドムに行ってロトに会い
ましたが、この二人は天使でした。残られた一人は「主の使い=主ご自身」でした。「アブラハ
ムはまだ主の前に立っていた」(18:22)。「主はアブラハムと語り終えられると、去っていかれ
た。」(18:33)とあり、この主の使いは主ご自身の顕現であることが示されています。

・アブラハムのもとから出されたハガルに現れた方(創世記21:14:〜19)
・・わたしはあの子大いなる国民とする・・」(21:18)神以外にこのようにいえるお方はいません。

 ・イサクを捧げようとしたアブラハムに現れた方(創世記22:1〜18)
「御使いは仰せられた。・・あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささ
げた。」(22:12) アブラハムのはん祭をこの御使いは自分に対して捧げたものと云っています。
そしてこの主の使いは神のなさる祝福をアブラハムに告げました。「わたしは確かにあなたを
大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。・・」(22:17)と。
このとき主の使いは天からアブラハムに語られたとかかれています。従って勿論このときは地
上に人の形をもって顕現されたのではないでしょう。

 その他、以下の記事は明らかに神(主、エホバ)御自身の顕現であることがその記述内容か
ら分かります。
 ・ヤボクの渡しでヤコブと格闘された方(創世記32:22〜32)
 ・燃える柴の異象をもってモーセに現れた方(出エジプト3:1〜4:19)
 ・ヨルダン川を渡ったヨシュアに顕れた方(ヨシュア5:13〜15)
 ・サムソンの両親マノアとその妻に現れた方(士師記13:2〜24)
その他、多数の箇所に同様の主の顕現が記されています。

「主(エホバ)の使い」という表現では、必ず単数がとられ、「使いたち」と表現されるような複数
ではないそうです。
 「生きて神を見ることはできない」(出エジプト33:20)のですから、「イスラエルの神を見た」(出エ
ジプト24:10)彼らはなにをみたのでしょうか。受肉され真の人性と神性とが一つになった、すなわ
ち神が人となられて人間がそのお方を見ることができるようになったのはイエス・キリストのご
降誕のときでした。従ってそれ以前の顕現は神が人間が耐えうる範囲でその栄光のほんの一
部分を顕わされたのだと考えるべきでしょう。

今月の質問
1.サタンと悪霊たちについて説明してください。
今回もまた、まずご自分で回答を考えてみて下さい。


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