「同労者」第26号(2001年11月)
目次に戻る
「あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要とするようになっています。乳ばかり飲んでいるよう
な者は・・幼子なのです。しかし堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物 とを見分ける感覚を訓練された人たちのものです。ですから私たちは、キリストについての教え の初歩をあとにして、成熟を目ざして進もうではありませんか。」
(ヘブル5:12〜6:1)
私たちはある年齢に達すると物事の決定を本人に任せるということをします。 それは"20歳になったから酒を飲んでもよい"というようなものではありません。善し悪しを指 導者に決めてもらうのではなく、それを自分で判断しなさいということなのです。 会社の仕事においても、新入りの人にはあれをして、これをして・・といちいち指図することで しょう。そして必要と思われることを教えながらその仕事をさせます。その人が仕事を覚え自分 で判断してそれを行うことができるようになると、指図することはなくなります。 信仰生活においても同様です。彼はもう大人になったから、本人の信仰・選択・生き方にまか せよう、ということがでてきます。私たちが自分の知識、判断力、信仰の課題に対する知恵など を考えてみるとき、いかに足りないものかと気づくことでしょう。大切なことは、"足りない"という ことには同意しても、それに対する手を打たないことがしばしばあることです。かえって、「こうし てはいかがですか」などと云われると面白くないのが常でしょう。自分を顕わしやすい人は、「そ んなことは分かってますよ。自分で判断してやっているのだから放っておいてください。」などと いいかねません。 この問題を考える大切なヒントがあります。 自分のことだけを考えている人はまだ子供です。親になると子供を育てなければなりません から、少なくとも子供のことも考慮に入れます。教会の外、世の中の人たちの間でも"ホタル族 "などと呼ばれる例があります。なぜホタルなのか。たばこをやめることができないお父さんた ち、室内でたばこを吸うと、赤ん坊や子供たちに害があるから、ベランダに出て吸う。夜はたば この火がついたり消えたり・・でホタルというわけです。 「もし食物が私の兄弟をつまずかせるなら私は今後いっさい肉を食べません。それは私の兄 弟につまずきを与えないためです。」(コリントT8:13)とパウロは述べています。私たちがこのパウ ロの生き方に倣うならば、私たちの信仰は「成人の信仰」と認めて頂くことができるでしょう。私 たちが当然行ってよいと思われる生活習慣に対しそれが必要です。すべてのことにこの原則 を当てはめてみようではありませんか。 |