「同労者」第26号(2001年11月)
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![]() 信仰良書
現実の人生における実際の結末
ある大都会のうす暗い裏通りに貧しい酔っ払いがいました。もしあなたが地獄を覗いてみ
たいと思うなら貧しい酔っ払いの家に行くのが良いでしょう。その哀れで惨めな酔っ払いの家に 行ってみましょう。そこを支配している窮乏と苦しみを見るのです。御覧なさい。玄関のところで 足音がしました。すると子供達は走って隠れます。忍耐強い妻が夫を出迎えました。彼は彼女 にとって苦痛の素でした。何度も彼に殴られた傷の痛みを彼女は耐え忍んで来たのでした。何 度も何度も強い右の手が無防備な彼女の頭に打ち付けられたのでした。そして今も彼女は、 罵られ残虐な扱いに苦しむことを知りながら夫の帰りを待っていました。
ところがその日夫は帰るなり彼女にこう言いました。「今俺は教会の集会に行ってたんだ。そ
こで、もし自分が望めば俺は生まれ変われる、ということを聞いた。俺は、神が俺を救うことが 出来ることを信じるよ」数週間後、その家にもう一度行ってみると、何という違いでしょう。近づ いていくと誰かの歌声が聞こえます。酔っ払いの歌ではありません。古き良き讃美歌「ちとせの 岩よ」の調べです。子供達はもはや父親を怖がらず、彼のひざの周りに群がっています。彼の 妻も彼の傍におり、彼女の顔は幸せで輝いています。「新生」を絵に描いたような光景ではな いでしょうか。私はキリスト教の救いの力によって幸福にされたそのような家庭をいくつも知っ ています。人が必要とするのは誘惑に打ち勝つ力、正しい人生へと導く力です。
神の御国へ入るただ一つの道はそこへ「生まれる」ことです。わが国(アメリカ)の法律による
と、合衆国大統領はこの国で生まれた者でなくてはなりません。外国人がこの国へ移住する時 には、彼らが大統領になることを禁ずるこのような法律に不平を言う権利はありません。一方 神には、すべての永遠の命を相続する人々は神の御国へ「生まれた」者でなくてはならない、 という法律をつくる権利がないのでしょうか。
新生していない人は天国よりもむしろ地獄にふさわしいのです。その心が腐敗とよこしまに満
ちた人を連れて来て、天国の純粋で聖く贖われた人々の中においてごらんなさい。彼はそこに 居続けたいとは思わないでしょう。確かにもし私達が天国へ行って幸福でいるつもりなら、まず 地上に天国を造ることを始めなくてはなりません。天国とは備えの出来た人々に備えられた場 所なのです。もしギャンブラーや神を冒涜する人がニューヨークの通りから連れ去られて、天国 の水晶の大通りやいのちの木の陰に置かれたとしたら、彼は「俺は帰りたい」と言うでしょう。も し生まれたままで心を新たにされていない人々が天国に連れて行かれたなら、天国に新たな 反乱が起こることでしょう。天国は二度生まれた人々の群れで満ちているのです。 ![]() |