「同労者」第27号(2001年12月)                          目次に戻る

聖書講義

 − 昨日のサムエル記 (その18)
仙台聖泉キリスト教会  牧師 山本 嘉納


 12月に入りだんだんと寒さが近づいてくる感じがする。クリスマスでもあるが、我が国では師
走と呼び忙しい時である。私たちの救い主、キリストは2000年前にベツレヘムの馬小屋でダ
ビデのすえとしてお生まれになった。ダビデに対して語られた「あなたの家とあなたの王国と
は、わたしの前にとこしえまでも続き、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。」との預言者ナ
タンのことばはここに成就した。神が人に与える賞賛と栄誉は、肉に過ぎないものには到底、
想像することの出来ないものである。ただ苦しみ、悩み、ひたすら糧を得るために働く私たち。
ソロモンが言うように「空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。」であることを、年齢を重
ねるにつれてひしひしと感ずるものである。そんな人間に過ぎないものであるが神は豊かな哀
れみと恵みの中に私たちを整え訓練し、有用な器に造り替えようとしている。そしてその働きに
対して神の大いなる報いは備えられている。例えばヤコブは兄エサウを欺き、父の祝福を横取
りした。それゆえに命を狙われハランに逃げなければならなかった。そこでおじラバンに出会
い、彼の二人の娘レアとラケルを妻とした。本当はラケルを好いていたがラバンに欺かれ二人
を妻にしなければならなかった。出来上がった家庭は一見、神を信じる良いもののようであっ
たがその実、姉妹である二人の妻の嫉妬と敵対心の影響を強く受けた子供たちの憎悪の巣で
あった。とうとう愛する子ヨセフはその兄弟たちに売り飛ばされ、父ヤコブには死んだと報告さ
れた。彼の生活のどこに神の恵みはあったのであろうか。確かに愛する息子ヨセフは生きてい
てエジプトで権力を握っていた。しかし、それがヤコブに対する神の栄誉ではなかった。彼がそ
れとして受けたものは12人の息子全部に信仰を継承し、祝福を与えたことである。信仰の父
アブラハムも真の神、主を譲ることが出来たのはイサクだけであった。イサクもまたヤコブにの
み、それを譲った。しかし、ヤコブは誰一人として落とさずに信仰を継承しイスラエル建国の父
となった。最後まで神に忠実なもの、信頼して付き従うものに栄誉の冠は備えられている。
ダビデに対して与えられる「永遠の王座」という賞賛が決定したのは彼が全イスラエルの王とな
りかつ、それを実証する実質的働きとしての対ペリシテ戦に勝利したことである。サウル王はこ
のペリシテに立ち向かうために国家を総動員する王として登場した。しかし、相次ぐ不信仰の
ゆえに神に捨てられペリシテ戦で戦死(自害)した。ダビデも同様ペリシテと戦って勝利してこそ
本当のイスラエル国王となれるのである。聖書はこのペリシテ戦を簡単に記し、そこに神の豊
かな介入があったことも追記しているがそれだけでここの学びを終わらせてしまうことは、もっ
たいないことである。サウル王の死後、すぐに転がり込んでくるはずの王座が止められ、引き
続き待たなければならないだけではなくサウル王家との確執の争いに終始しなければならない
現実はつらいものがある。ダビデが全イスラエルの王になることが御旨なら神は何をためらっ
ているのだろうか。一気に潰してしまい有無を言わさずに王位に付くことは、神の本位ではない
ことを知っていたダビデは御手が動くのをただ黙って待っていた。サウル家も王の資質に乏し
いイシュ・ボシェテではあったが将軍アブネルを中心に今だ国家への号令は厳しいものとして
届いていた。対するペリシテはイスラエルの敵であり脅威ではあったがサウル家と戦っている
ダビデを今だ属国と信じ、いつでも彼の要請があれば出陣しイスラエルへの完全な勝利を目
論んでいた。大きな犠牲がイスラエルに出ないうちに内乱を収拾し強国ペリシテ戦に備えなけ
ればならないダビデはサウル王家を代表する、将軍アブネルの和解の相談をもってこいのタイ
ミングで受けとった。「アブネルはダビデのところに使いをやって言わせた。『この国はだれのも
のでしょう。私と契約を結んでください。そうすれば、私は全イスラエルをあなたに移すのに協
力します。』」(サムエル記U 3:12)アブネルは野心家であったが知恵者でイスラエルの神、主を知
っていた。このままサウル家のために何かをしても報われないこと、それ以上に神の後押しが
あるダビデと戦っても万に一つ勝ち目のないことを悟っていた。ダビデの思惑通りことが進むな
らアブネルの仲介のうちに王位は目の前であった。しかし、ダビデの部下であり彼の戦いの右
腕であったツェルヤの子ヨアブは「ネルの子アブネルが、あなたを惑わし、あなたの動静を探
り、あなたのなさることを残らず知るために来たのに、お気づきにならなかったのですか。」と和
解の使者を信用できず兄弟の復讐と将軍職にあるものへの競争意識に燃えて暗殺してしまっ
た。またもうまくいきそうだった王位継承が遠のくかに見えた。しかし、ダビデは国葬を準備さ
せ民とともに悲しむことを命じ、自らも徹底してアブネルの死を悲しんで見せた。これによって
「民はみな、まだ日のあるうちにダビデに食事をとらせようとしてやって来たが、ダビデは誓って
言った。『もし私が、日の沈む前にパンでも、ほかの何物でも味わったなら、神がこの私を幾重
にも罰せられますように。』民はみな、それを認めて、それでよいと思った。王のしたことはすべ
て、民を満足させた。」(サムエル記U 3:36〜37) これらはダビデがどこまでもアブネル暗殺に対
して白であることを民に示し、民もそれと分かって安心している。裏をかえせば彼らは当初、ヨ
アブの暗殺の背後にダビデがいたのではないかと勘ぐっていた。どこまでも謙遜で民に使える
ダビデが見える。最後まで彼は力ずくで王位を取ろうとはしなかった。民が喜んでダビデを迎え
イスラエルの王とした。ペリシテは自国を裏切り油注がれイスラエルの王となったダビデを殺そ
うと上ってきたが、ダビデの下に一つとなりイスラエルは雄々しく戦った。神の豊かな助けは仕
えるものから決して離れずあったことが書かれている。「そこで、ダビデが主に伺ったところ、主
は仰せられた。『上って行くな。彼らのうしろに回って行き、バルサム樹の林の前から彼らに向
かえ。バルサム樹の林の上から行進の音が聞こえたら、そのとき、あなたは攻め上れ。そのと
き、主はすでに、ペリシテ人の陣営を打つために、あなたより先に出ているから。』」(サムエル記
U 5:23〜24)
若い時、サムエルから受けた油注ぎ。彼は何年待ち続けたことか。神と共にやっとの思いでた
どり着いた最高責任者の座、神は人類の救い主、イエス・キリストを彼の子孫として誕生させる
ことをこの時よしとした。ダビデ40歳の春であった。(筆者推測)


目次に戻る   表紙に戻る