「同労者」第27号(2001年12月)                          目次に戻る

信仰良書

 − 神 へ の 道  (20) 
D.L.ムーディー 著   仙台聖泉キリスト教会 山田 大 訳


 信じる者がみな

  ヨハネ3章14、15節に「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければ
なりません。 それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです」(強調
点著者)とあります。
  この御言葉に注目してください。私はあなたがたまだ救われていない人々に、神が何をしてく
ださったかをお話ししたいのです。神はあなたがたの救いのために成し得ることすべてをしてく
ださいました。あなたがたはこれ以上神が何かをしてくださるのを待つ必要はありません。ある
箇所で神はお尋ねになっておられます。「なお、何かわたしがしなかったことがあるのか」(イザ
ヤ5:4)と。神は預言者を送ってくださいましたが、人々は彼らを殺しました。それで愛するひと
り子をお与えになりましたが、その方も殺されてしまいました。今神は聖霊をお降しになり、私
達に罪を認めさせ、救いの道を示されました。
  ヨハネ3章に、どのように人は救われるかが語られています。すなわち十字架に上げられた
主によってです。ちょうどモーセが荒野で青銅の蛇を上げたように、人の子もまた上げられな
ければなりません。「それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです」
(15節)。ある人々は、六千年も前の人の罪に対して責任を取らなければならないなんて不条
理だ、と不平を言います。少し前ある人が、彼の言うところのこの「不公平」について私に語っ
ていました。もし人がこのようなやりかたで神に答えようと考えるなら、いいですか、それはその
人に何の益ももたらしません。もし誰かが滅びるとしたら、それはアダムの罪のせいではない
のです。 



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