「同労者」第28号(2002年1月)
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「福音のために私と苦しみをともにしてください。」(テモテU 1:8)
冒頭のみことばは使徒パウロが愛弟子テモテに書き送った手紙の一節です。パウロはテモ テが自分と苦しみを共にしてくれることを十分承知の上でこれを書いています。 私たちも主の働き人たちの同労者でありたいと願って、信徒会の働きを進めようとしてきまし た。この論説の読者の皆さんは同じ心を持っておられると信じて疑いません。しかし、志を持っ ていても力量が伴わないとその願いを果たすことができません。けれども志があることは、そ のことをやがて出来るようになるための生命線です。志があるならそれを実現できる望みがあ ります。 さて主の働き人たちの同労者でありたいという志をどのようにしたら実現させることができる でしょうか。そこに私たちの工夫、努力、精進の場があります。その力量というのは、この世の 富、この世の知恵、この世の権力などではありません。それは"霊性"と表現されるものです。 その第一は、助けたい方の悩み、心労、労苦を察知することです。それが真の悩みであれば あるほど、その悩みが深ければ深いほど"私はこういうことを悩んでいます。"とは言わないも のです。私たちの悩みには他の人に関係していることが多いからです。きっと皆さんも夫の悩 み、妻の悩み、親の悩み、子供の悩み、兄弟姉妹の悩み、友人の悩みに後で気づいて"あの 時どうして気づかなかったのだろう。"と思うこともあったであろうと思います。けれども、傍らを 歩む者にその悩みは全てではありませんがやがて漏れてきます。 先生方は伝道者、牧会者でありますから、表だった仕事を述べれば、求道者を救いに導き、 福音の内容を教え、信者となった人々を育て、良い実を結ぶことができるよう導くことが挙げら れるでしょう。その悩みは語ることをそのまま受け取って貰えない点にあることでしょう。神は全 地全能のお方、天地の造り主、聖、義、愛のお方である、と言いましても、求道者はそれを悟 ってくれません。信徒もまた神第一の信仰生活をしようと語っても、私たちを取り巻く世の中の 経済の状況が厳しくなって、信徒の自らの家計をまかなうための戦いがあって、神第一に生き 方を整えることがなかなか出来ないとの主張がでてくることでしょう。 この年、自らの信仰の戦いと主の働き人の同労者がつとまるように、自らの霊性を高めるた め「祈り」に励もうではありませんか。私たちは祈って救われました。祈って潔められました。祈 って様々な助けを得ました。とりなしの祈りは、愛する人々と悩みを共にし、また必要な助けを もたらします。そして、祈りは自らの霊性を天の高さに導いてくれる鍵であります。 |