「同労者」第29号(2002年2月)
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証詞
「もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。も
し、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべ ての悪から私たちをきよめてくださいます。」(ヨハネT 1:8〜9)
私が救われましたのは、昭和58(1983)年2月8日のことで、今年で何と19年になります。
本当に遅々たる歩みですが主は助けて下さり、守り導いて下さったことを心から感謝していま す。
当時、石井商工に働きながら夜間大学の3年生もうすぐ4年で、これからの行く先を決めてい
かなければならない大切な時でした。田舎にいる父母は、とにかく娘を側におき、世間ていの いい結婚をさせたいと強く願っておりましたので、縁談を何度も持ってきました。その度にいや がおうにも結婚について考えざるを得ませんでした。同時に仕事や他のことにもチャレンジした い気持ちもあり、悩みの中にいました。
けれどもいつも私の心の中には何ともいえない虚しさが混沌として流れていました。教会生
活も3年目に入っておりましたので、いつの間にか世の中の価値観だけでは、心の中が満たさ れないことをわかり始めていたからだと思います。
そんな時に同じ大学に通う方から・・その人はもう立派な社会人でしたが・・結婚を申し込まれ
ました。それは私自身具体的にどう生きていきたいのかという、神さまからの問いかけであっ たと思います。逃げてばかりいた私の心の内を、そのことを通してまっ正面からとらえて下さっ た神さまからの大きな投げかけでした。
それを本当に理解し、祈っていて下さった社長の石井兄が、私を山本先生の前に連れていっ
て下さったので、私は先生にすべてを話させていただきました。先生に"あなたは今までのよう に世の中の道を行くのか。それとも神さまとともに歩んで行くのか。どちらかしかないよ。"と言 われ、私は本当に追いつめられました。私はその時神さまとともに歩む人生をとらせていただ きました。神さまが既に私の心の中にいて下さりそのように変えてくださったのだと思います。
昨年は忙しい日々を過ごすうちに、私はいつの間にか聖言葉から離れている自分に気づき
ました。それは神さまを二の次にして毎日のこなさなければならない生活に身を置いていたか らです。それは霊的生活の中に敏感に反応します。それを思い知らされたのは、恵一(長男) と強(次男)の受洗が与えられた時に、この子供たちのために祈らなければならないことを強く 思った時です。
私も昨年の振り返りの中に本当に足らなさを覚え、私の心の中に主が住んでいて下さること
を大切にしながら歩ませて頂きたいと思います。
「なぜなら福音のうちには、神の義が啓示されていて、その義は、信仰にはじまり、信仰に進ま
せるからです。」(ローマ1:17) |