「同労者」第29号(2002年2月)
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巻頭言
「愛する者たち。私たちはこのような約束を与えられているのですから、いっさいの霊肉の汚れ
から自分をきよめ、神を恐れかしこんで聖きを全うしようではありませんか。」(コリントU 7:1) 納先生にお渡ししました。 私が子供の頃、親が私に聖書の御言葉を選んでくれて書いていたことを思いだします。自分 でそれを書く年令になった頃、まだその意味がよくわからない時でしたが「讃美歌を大きな声で 歌います。教会を休まないで出席します。・・」など、このことをすれば神様が喜んで下さると思 えることを書いたものでした。 親になって今年も子供に御言葉を与えながら、私も冒頭の御言葉が与えられました。中心に なることは家族のことであり、その健康そして3人の子供たちが神様の御手に守られて一年過 ごしていけることを願っています。 若い時は、今年はあのことに挑戦しよう、このこともしてみたいと、色々な新しいことに目を向 け走っていましたが、だんだんと一年を越えさせていただきながらも、引き続き担い続けている また祈り続けている祈りに、信仰の課題をもち進ませていただいています。 昨年私共の教会では、アブラハムの生涯を通し、「神の聖に与る者」というメッセージがなさ れていました。その語られた中で一つの言葉が私の心を強く捉え続けております。それは「信 頼」という言葉です。 アブラハムが神から一人子イサクを献げるよう命じられた時、彼は神への全き信頼により、 神を信じその出来事に勝利し、神からの祝福をいただきました。その前提にはアブラハムが神 の訓練と共に歩み続けてきた姿が見いだせます。 神と共に歩む(十字架を担って)時に、試練があります。しかし、その試練の中にこそ神への 全き信頼が必要であることを学ばされました。私も神様の必要に足る者となりたく、ご訓練のう ちを歩んでいきたく願います。 「ですから、今、それをし遂げなさい。喜んでしようと思ったのですから、持っている物で、それ をし遂げることができるはずです。」(コリントU 8:11) |