「同労者」第29号(2002年2月)
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11月20日(木)
(前号のつづき)やがて私たちは世界最古の町エリコに入る。エリコはオアシスで有名だが文
字通り緑の濃い町である。 ![]()
ザーカイが登ったのではないかとされる"いちじく桑"の巨木の前をバスを下り写真を撮る。エリ
コはまた美しい町だ。城跡や発掘された石垣跡を見たが城跡は予想外に低く小さかった。河 谷氏の説明によると、エリコの王と言ってもその辺の村長か町長ぐらいの規模と思って差し支 えないと教えてくれた。誘惑の山やエリシャの泉跡も指差し教えられたが「40年の荒野を放浪 してきたイスラエルにとって彼らの目にしたこのエリコは何と鮮やかな強烈な印象として彼らの 目に映ったことだろう。日本ではざらにある、この緑の光景も草木一本もないあの砂漠と山岳 を経てきた彼らには何と色鮮やかに映じただろうか。そして、彼のピスガの峰から何とオリーブ 山も遠望できるのです。」と語られた。エリコは現在イスラエル占領地区になっているが本当は ヨルダン領であり住民はアラブ人である。しかしエリコの住民は何処かの国に帰属している意 識よりもオアシスの住民という意識が強い。彼らはオアシスを離れては生きて行けない。オアシ ス追放は死を意味していた。誘惑の山からイエスの目に映じたこの世の栄華のシンボルはこ のオアシスであったのではあるまいか(マタイ4章)。エリコで有名なものはその豊富な果物であり 新鮮なジュースだという。皆はそのジュースを飲み、日本への持ち込みOKという干しイチジク やなつめやしの実など、それぞれ大量に買い込んだようだ。荷物はずしーっと重くなった。 ![]() ![]() ![]() ![]()
エリコを出発してヨルダン川沿いにガリラヤ湖を目指して北上。この辺りになると緑は一面と
なり、キブツも大型化してくる。左側にギルボア山が姿を見せ始めた。ギルボア山はサウル王 がペリシテ軍と戦い息子ヨナタンと共に戦死した古戦場として知られている山である(サムエル記 T 31章)。河谷氏によると、昔ユダヤの国では新月になるとオリーブ山上で火を燃やして「新月 到来」を知らせ、それをギルボア山でキャッチし、次々とリレーして各地に伝えると言う方法で 全ユダヤに峰火による"のろし火"で通報したとの事である。有名な古戦場の一つをカメラに収 めたが、何処でもそうだが走る車や飛行機からの撮影なのでうまく撮れているか疑問である。 ![]()
まもなく見えた山の頂きがベテシャン(サムエル記T 31章、サムエル記U 21章)と教えられた。サウ
ル王たちが吊された城跡である。走り行くバスの道路沿いに大きな墓地群が見えたので、それ もカメラに収めた。ヨルダン領のこの辺りは現在イスラエル軍の見張り所や鉄条網がやたらと 目につく。ガイド氏から「軍関係にはカメラを向けないよう」注意を受けている。1967年の六日 戦争でイスラエルはエルサレムを始めサマリヤ、ヨルダン以西を占領地として掌握していると の事だ。 ![]()
いよいよガリラヤ湖到着。私たちはバスを下りて湖から流れ出るヨルダン川の水源地近くに
立った。たまたま船で魚を網から外している漁師たちの姿に出会った。カメラを向けると魚を 高々と持ち上げて手を振ってポーズをとってくれた。ラッキーな写真が撮れた。ヨルダンとはヨ レット(下る)ダン(国名)すなわち"ダンから下る"の意味だそうだ。ガリラヤ湖も海抜−200メ ートルとか。死海が−400メートルで世界で一番の低地であると言う。ガリラヤ湖は死海に比 べ流石に生気に満ち波も荒れて生き生きしている。美しさもまた格別、今日は珍しくヘルモン 山が白雪の雄姿を見せている。こんなことは珍しいとの事、これまたラッキーであった。 ![]() ![]() ![]()
湖畔のレストランはペテロの魚を食べさせてくれる事で知られている店らしい。なるほど30セ
ンチ位もある鯛に似た揚げた魚が運ばれてきた。淡白な味で結構おいしく頂いた。面白かった のは2〜30人に一人の割で魚の口にコインが入っているという話だ(マタイ 17:26、27)。初めは 河谷氏が気をつけてください。魚の口にコインが入っていますよ」と言われた時は冗談かと思っ たが本当らしい。我らの仲間では渡辺さんがコインに当たったとか聞いたが真偽の程は確か められなかった。店内では雀が数羽入ってきて餌をついばんでいた。のどかな風景である。外 に出ると乗船までの間、河谷氏紹介の売り子から皆それぞれ小物の土産を買った。何でも 少々頭の弱い人で気の毒だから買うならその人から買ってやってくださいとの話があったから である。
(この日の記 つづく)
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