「同労者」第29号(2002年2月)                         目次に戻る 

聖書研究

仙台聖泉キリスト教会 聖書研究会 1994.4.22 から
聖霊について(第11回)
―― 聖霊と教会(2) ――


仙台聖泉キリスト教会   野澤 睦雄

4.4 聖霊による兄弟間の一致
 キリストは教会を構成する弟子たちのために、聖別と一致が与えられるよう祈られました。
「…真理によって彼らを聖め別ってください。…彼らも一つとなるためです。」(ヨハネ17:16〜23)
 それは聖霊によって実現するものです。「…御霊の一致を熱心に保ちなさい。」(エペソ4:2〜
16)

 A・マーレー「キリストの御霊」に学ぶ
<A.マーレー著、沢村五郎訳、「キリストの御霊」、いのちのことば社、1987、p.283〜>

「謙遜と柔和野限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれ
て御霊の一致を熱心に保ちなさい。からだは一つ、御霊は一つです。」(エペソ4:2〜4)
 「さて、御霊の賜物にはいろいろの種類がありますが、御霊は同じ御霊です。……同一の御
霊がこれらすべてのことをなさるのであって、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を
分け与えてくださるのです。……なぜなら、私たちはみな…一つのからだとなるように、一つの
御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。」
(コリントT12:4、11、13)

 パウロはエペソ人への手紙の最初の三章において、教会のかしらとしてキリスト・イエスの栄
光を示し、教会が彼のからだであって御霊によって神の住まれる所となり、神に満ちているも
ののすべてをもって満たされるようになることを告げました。こうして信徒をたずさえていのちが
キリストのうちに隠されている天のまことの場所に至らせ、再び下って、この手紙の後半で、ど
のようにして信徒が召しにふさわしく歩むべきかを、パウロは教えたのです。そして、信徒がこ
の地上の生涯を歩むにあたって、第一に与えられなければならないのは、聖霊がただ私たち
を天にあるキリストに結びつけただけではなく、同時に地上にあるキリストのからだに結びつけ
たという根本的な真理に基づいた教えでした。(エペソ4:1〜4)
 聖霊はただ天にあるキリストの中や地上にある信徒の中にいるばかりではなく、キリストのか
らだのそれぞれの部分としてある者の中にもいるのです。そして、聖霊の満ちあふれた健全な
働きは、キリストのからだのそれぞれの部分が正当な関係につながっているときだけ見いだす
ことができます。それゆえ、きよい生活の第一の要件はこの聖霊の一致を求めることでなけれ
ばなりません。この御霊とからだの一致が十分に認識されているところに、自己を忘れていっ
さいの違いや欠点の中にも互いに愛をもって忍び合うことができます。(エペソ4:2〜3)こうして新
しい戒めは守られ、他の人々ために自己を全く犠牲にするキリストの愛の御霊は、そのわざを
なすことができるでしょう。
 このような教訓が必要なことは、コリント人への手紙第一においても、明らかに例証されてい
ます。その教会では聖霊のいろいろな働きがあり、さまざまな賜物が豊に与えられていました。
しかし、彼らは御霊の恵みに欠けていたのです。彼らは一つからだとなるように、一つの御霊
によってバプテスマを受け、一つの御霊を飲む者とされたことを知りませんでした。彼らはもっ
とすぐれた道を知らず、すべての御霊の賜物のうちで第一のものは、自分のことを求めずただ
他人の益を喜ぶ愛の賜物であるということを知らなかったのでした。
 聖霊の導きに全く自分自身をゆだね、内住の御霊の力を経験したいと切望している信徒にと
って、御霊の一致ということは実に豊かな恵みを与える真理です。私は、一度ならず、ストック
マイヤーのことばを引いて、「あなたのうちなる聖霊を深くあがめよ」と言いましたが、それとと
もに重要な一つのことがあります。「あなたの兄弟のうちにある聖霊を深くあがめよ」ということ
です。これは容易なことではありません。他の点で恵みのうちを進んでいるクリスチャンでも、し
ばしばこの点では失敗していますが、その理由を見いだすことは困難ではありません。教育学
の教えるところでは、物の相違を認める弁別力は先に発達し、相異なるものを総合する連結
力は後に発達するものであって、分類するための最高の能力に至っては天才だけが持ってい
るということです。この例証は霊的生活においても同一です。信徒や教会相互の相違を認め、
それが私たちの意見と違うところや彼らの教理や行為の誤りをさばくためには、もうほとんど恵
みも何も必要としません。しかし、私たちを試み悩ます行為や、聖書的でないと思われる教え
の中にあっても、なお御霊の一致を第一とし、外面の違いの間に愛による生きた一致を保つ
ためには、さらに高い恵みを必要とするのです。
 「御霊の一致を保ちなさい」、これはひとりびとりの信徒に対する神のご命令であり、「あなた
がたは互いに愛し合いなさい」という新しい戒めを別のことばで言い表したものです。もしあな
たがこの戒めに従おうとするならば、それは御霊の一致であることに注意してください。教条や
習慣の一致とか教会や選択の一致なるものがあります。そういう場合における結合は、御霊
によるよりもむしろ肉によっているのです。あなたは御霊の一致を保ちたいと思いますか。そ
れなら次のようなことを覚えなければなりません。
 あなたは、うちなる自己と肉につけるものによって一致しようとしたりしてはなりません。それ
はかえって御霊の一致を妨げるものです。あなた自身には愛する力のないことを認め、あなた
のうちにあるものはすべて利己的であって、真の御霊の一致に到達することができないことを
告白しなさい。あなたのうちにある神に属するものだけが、あなたにとって不快に思われるよう
なものとも一致させるのだということを思い、へりくだりなさい。あなたのうちに、自我を征服し
愛し難いものをも愛させるものがあることを思って、喜びなさい。
 また、あなたの兄弟のうちにある御霊をあがめることを学ばなければなりません。あなたはそ
の同じ御霊によって結びつけられるのです。あなた自身の場合と同じく彼のうちにもまだ肉的
な分子が神のいのちの隠れた種を取り巻いて、しばしば彼を試み、不快を与えているかもしれ
ません。そんな場合のためには、自分がいかに価値のない者であるかを知る謙遜と人をゆる
す愛がなければなりません。主イエスも最後の夜に、「心は燃えていても、肉体は弱いのです」
(マタイ26:41)と言われて、彼らのうちにある父なる神のかたちと御霊を見いだそうと熱心に努め
ました。私たちも、人をその人自身がどうであるかによってではなく、彼がキリストにあって持っ
ているものよって評価すべきです。私たちの持っているいのちと御霊を彼らも持っています。こ
うして御霊の一致は肉の相違と嫌悪とに打ち勝つことができるようになるでしょう。
 この御霊の一致は、また実行に現されなければなりません。私のからだにおいて各部分の
相互の結合は、生きた現実である血液と生命の循環によって維持されています。「私たちはみ
な…一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け…」「からだは一つ、御
霊は一つです」。内なる結合は外に現れ、愛の交わりによってさらに堅くされるのです。気の合
う者とだけ交わっていてはだめです。肉の一致に陥りやすい恐れがあるからです。
 あなたが他の信徒のことを思い、またさばくときに、人の悪を思わぬ愛を働かせることを学ば
なければなりません。彼らについて不親切なことばを一つとして語ってはなりません。あなたと
意気投合するからではなく、父なる神の御霊が彼らのうちにいるゆえに、すべての信徒を愛さ
なければなりません。あなたの周囲には、無知と弱さのために、自分のうちに御霊がいること
を知らず、ことによると御霊をしばしば悲しませている者があります。あなたはそれらの神の子
たちを愛し、彼らのために労すべく身をささげなければなりません。御霊の働きは神の住まい
を建て上げることです。あなたのうちにあってこのわざをしてくださる御霊にすべてをゆだねな
さい。あなたは兄弟のうちにいる御霊により頼み、彼はあなたのうちにある御霊により頼まなけ
ればならないことを認め、愛の一致によって、兄弟もあなたもともに成長することを求めなさ
い。
 キリストの教会の一致のためにささげられる合同の祈りの群に、あなたも加わりなさい。すべ
ての信徒が「一つとなるため」(ヨハネ17:21、23)という偉大な大祭司なるお方のとりなしの祈りを
引き継ぎなさい。全世界の教会のために、神の御霊の大活動を祈り求めなさい。干潮のときに
は浜辺の水は砂や意志に隔てられて分かれていますが、満潮になるとすべての障害は一掃さ
れ、すべてが和して一つの大洋となります。このように神の約束に従って乾いた地に聖霊の大
洪水が来るとき、自我は消失し、御霊のみが高らかにあがめられることでしょう。
 「彼らが全うされて一つとなるためです。それは、あなたがわたしを遣わわれたことと、あなた
がわたしを愛されたように彼らをも愛されたこととを、この世が知るためです。」(ヨハネ17:23)との
祈りが答えられるのはいつでしょうか。あなたはまずこれをあなた自身から始めなければなり
ません。うちに御霊を宿し、そしてそのことを知っているのは私たちが神の子どもであることの
しるしです。もしあなたが自分の好みによってではなく、また意気投合することによってでもな
く、うちなる御霊によって他の人を見たいと思うならば、あなたの考えや思いを御霊に譲り渡さ
なければなりません。そうしたいと望むなら御霊があなたの全存在を支配しなければならない
のです。あなたは聖霊が内住していることを常に自覚しつつ生活しなければなりません。あな
たはまた、父なる神がのそ栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもってあなたがたのうちな
る人を強くしてくださることを、絶えず祈らなければなりません。
 御父は御子の名によって御霊を与えておられます。御父と御子と親しく交わることによって、
御霊はあなたを全く支配し、あなたの全存在を貫かれるでしょう。彼がうちに満ち、その働きが
いよいよ力強くなるにつれて、あなたはさらに霊的となり、自我は消失してしまいます。そしてキ
リストの御霊は、信徒を結び合わせて神の住まいを建設するために、あなたをお用いになるこ
とでしょう。キリストの御霊は、あなたを聖別して御父の愛の使者としてふさわしい者とするため
に、あなたのうちにあって聖なる油となり注がれることでしょう。
 あなたが常に謙遜と柔和と親切と愛の忍耐とをもって教会の中の差別と困難の間にあり、温
和と同情と犠牲をもって助けを要する者を求めて出て行くならば、あなたのうちにある御霊は、
ご自分があなただけでなくすべての人に属することをあかしし、その愛はあなたを通してすべて
の人に届き、彼らを祝福するにちがいありません。

4.5 結び
 聖霊を受けた人々は、キリストの体にふさわしく整えられます。
 それぞれが神から与えられた使命を果たすことを(他の人についても)認めることができま
す。
 神が立てられた指導者のことばを受け入れることができます。
 子供が「両親に従う」とき神は「幸せ」を約束されたように、神が立てられた指導者と共に歩む
時、神は教会の中に私達の占める場を与えられ、キリストの体を建て上げる働きに参加するこ
とを許されます。
「キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものと
するためであり、ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つ内、聖く傷のないものとな
った栄光の協会を、ご自分の前に立たせるためです。」(エペソ5:25〜32)


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