「同労者」第30号(2002年3月)                          目次に戻る

証詞

 − 救 い の 証 詞  −

仙台聖泉キリスト教会  玉城 加代子


「御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがな
く、神の怒りがその上にとどまる。」(ヨハネ3:36)
 
 私は東京の荒川区三河島(旧)という下町で、四人兄弟の末っ子として生まれました。父親は
私が四歳の時肺結核で亡くなったそうです。私が父の事を少し覚えているのは、近くにお寺が
ありまして、夜店に連れていってもらったことです。母は女手一つで私たちを育ててくれました。
 ある時母が私に話してくれた事は、清一(兄)が教会に導かれて真面目だったから私(母)も
行くようになった、ということでした。母や息子が頼りでした。母も苦労の人生を歩んできたよう
です。
 私は我が儘で親に口ごたえをしたり、困らせていました。兄が父親代わりに私を叱ってくれた
り、注意してくれたりしました。兄は絵本を買ってくれたり、優しい兄でもありました。
 私の家庭は貧しかったのですけれども、兄が救われて教会に行っていましたので、貧しさを
感ぜず楽しい思い出がありました。私が小学校三年生の時です。姉が教会学校の先生をして
いたので、「教会学校があるから教会に行ってみない」と私を誘いました。そこで私は一番仲良
しにしていた友達を誘って教会に行くようになりました。その当時近所に子供達が多かったの
で、公園とか広場で先生方が紙芝居をしながら伝道し、教会の集会の案内をしていました。そ
れから教会で子供達の特別の集会があった時、子供達が多くてガヤガヤ騒いだりしていまし
たので、「教会は映画館や劇場ではないから静かにできない人は外に出なさい」と、山本岩次
郎先生が注意したこともありました。その一言でみんなシーンとなった事を思い出します。
 私は小学生の時は教会学校だけ出席していましたが、中学生になった時、山本ワカ先生か
ら礼拝にも出なさいと言われて出席するようになりました。中学一年の1960(昭和35)年11
月に特別伝道会があり、朝比奈先生という他の教会の牧師先生が来てお話して下さいまし
た。「あなた方の中で人を憎いと思ったことがありませんか。人を憎むということは、肉体は殺
していなくても、魂を殺しているので人殺しの罪なのです。心に悪い考え、悪い思いを持つこと
は罪なのです。」と話された時、それは私ではないかと示されました。そしてその当時教会に住
み込みでいらした村松姉妹が教会学校の先生でしたので、個人伝道をして下さり、今まで親・
兄弟・友達に対して憎んできたことを悔い改めました。
「あなたの罪の身代わりとなって十字架に架かって血を流してくださり、三日目に甦えられたイ
エス・キリスト様を信じますか」と問われた時、「はい。信じます。私の罪の身代わりになって十
字架に架かってくださったイエス・キリスト様を信じ受け入れます。」と告白しました。1960(昭
和35)年11月20日、礼拝の時に洗礼を授けていただきました。教会生活、信仰生活42年、
キリスト教一筋に生きてくることが許されたことを感謝しております。



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