「同労者」第30号(2002年3月)
目次に戻る
祈りの小部屋
アメリカ・インディアンの人々にイエス・キリストを伝えたブレイナードという人物がいたことと、
彼が祈りの器であったことを私たちは聞いています。このO.スミスという人の著書が日本語に 翻訳されて出版されましたが、今も売られているでしょうか。それとも絶版となったでしょうか。 ブレイナードの個人経験である、認罪、回心、福音宣教への召命、そして祈りへの導きと・・い った経験が私たちに迫ってきます。
<1742年4月19日 月曜日>
「伝道の準備のため、神の目的と指図が与えられんがため、また神の時に収穫場に遣わされ
んがため、今日一日を断食と祈祷のために費やした。
午前、不滅の霊魂のため、愛する主にして救い主であるキリストの王国がこの地上に拡張さ
れんがために祷告するに当たって力を覚えた。その結果、心の底よりいとも快き委任の念起こ り、御国が拡げられるため懇願、悩み、および死そのものをも忍ばんと考えることの中にも、 慰めと喜びが与えられ、さらに哀れな異教の民の回心のため祷告するに及んで心が開かれ た。
午後『神は実に我と偕に在せり。』あゝ、それはいかに幸いな交わりの時であったことか。祈
りにおいて神はかくも苦しむことを得させ給うたので、涼しい風の吹く木陰であったが汗びっしょ りぬれた。私の魂は世の人々のために引き出されること著しかった。幾多の魂のために喘ぐ。 神の子らのためよりも罪人のために一層開かれた心を持った。・・」
(「ブレイナードの日記、O.J.スミス著、いのちのことば社、1960,p.24)
祈りの人に触れることは私たちの祈りに大いに助けとなります。(文責:野澤)
|