「同労者」第30号(2002年3月)                         目次に戻る 

旅行記

― 聖地旅行見聞記 (12) ―

森聖泉キリスト教会  牧師 秋山 光雄

聖地旅行日程    1986年11月14日〜11月25日 (13日間)
日/曜日 出発地−到着地 主な訪問・見学地
20/木 ソドム・ガリラヤ(キブツハウス) 死海、クムラン、エリコ、ガリラヤ湖、
カペナウム、八福教会


11月20日(
(前月のつづき)私たちは此処テベリヤから巡航船に乗りガリラヤ湖を横断してカペナウム(ナ
ホムの村の意)へ向かうわけである。出航して15分くらい経って今日のメッセージを指名され
てた私は強風で荒れる船の手すりに掴まりながらショートメッセージをさせて頂いた。有馬師が
「折角クリスチャンのツアーなのに礼拝やデボーションが少なすぎる」と言われたのを下川師に
伝え、毎日どこかで短くても礼拝を持とうではないかと言うことになり、年輩順とかでこの日は
私の番となったのである。初めの予想ではエリコ辺りかと思ったがガリラヤ湖上となり、急遽メ
ッセージを変更した訳である。しかし私としては最上の場が与えられたと思った。

ガリラヤ湖  遙かに垂訓の丘と教会が見える

嵐に悩むガリラヤ湖上の弟子たちの説教こそ(マタイ14章)私が昭和24年12月12日、初めて
出席した職場の聖書研究会で山本岩次郎牧師から聞き、救いに導かれた思い出の記事であ
るのだ。今ここに同じガリラヤ湖の真ん中、しかもその時のように風で大揺れの船上でのメッ
セージ。私は手すりに掴まりながら自らの証を伝え嵐の中にも導き給う主イエスは昔も今も変
わらないと訴えたのである。「私は今、思い出の湖上に立っている」と言ったら笑いが起こっ
た。私は慌てて言い直した「いや魂の思い出の地に立っているのです。私の身も心も感動と実
際で大揺れですから、短い証で終わります」と結んだら再度笑いが巻き起こった。事実船が大
揺れで掴まりながら立つのがやっとだったから。メッセージが終わると河谷氏のガイドが始まっ
た。
 「カペナウムを時計の針の12時とすると9時辺りがマグダラ、10時辺りの丘が垂訓の山、1
1時30分辺りが、ヨハネ21章の召命教会とパンの奇蹟の場、1時頃がベツサイダ、3時頃が
ゲラサ人の地、悪霊が豚の群の中に入り豚が海に落ちてトン(豚)死した所・・・・・」と言った具
合の分かり易い名調子解説である。船の中では婦人たちが讃美歌を歌い始めていた。同船の
外国人客も視線を向けて聞き入っていたようだ。船は4、50分の後カペナウムへ着いた。繁
栄を誇ったカペナウムも主の予言のように今はすっかり廃れたゴーストタウンであり人一人住
んでいないと言う。
 船着き場すぐ近くに教会があり会堂の遺跡があった。これは有名なカペナウムの会堂であ
る。油絞りの石器や石臼なども置かれていた。その前にはペテロの家の跡がある。



ペテロの家跡(カペナウム)


カペナウムのシナゴグ


カペナウム会堂横 オリーブ絞り器と石うす

船着き場すぐ近くに教会があり会堂の遺跡があった。これは有名なカペナウムの会堂である。
油絞りの石器や石臼なども置かれていた。その前にはペテロの家の跡がある。新約聖書の記
事の幾つかが心のをかすめる。見学を一度に味わうには濃度が濃すぎ、また聖書知識の乏し
さを痛感させられた。



大漁の奇蹟教会


 私たちはバスで(バスは湖岸を迂回して我らを待っていてくれた)次の教会を訪ねた。そこは
ペテロ召命教会と呼ばれ茶色のレンガかタイル作りの会堂であった。すぐ下は湖で私たちは
海岸でガイドに耳を傾けた(ヨハネ21章)。かなり多くの観光客がいた。ちょうど水がひいていたが
普段は会堂のすぐ近くまで湖になっているとの事だ。一同は三三五五休憩したり石を拾ったり
しながら静かな湖岸を楽しんだのである。近くに主イエスの足下に座るペテロの記念像が美し
く立っていたのも印象的であった。信仰者にとって主の足跡をたどるのはいい知れぬ感動であ
る。



汝は我を愛するか・・イエスとペテロの像


海岸で石や貝を拾う仲間


(この日の記 つづく)



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