「同労者」第31号(2002年4月)                          目次に戻る

証詞

 − 私 の 救 い  −

仙台聖泉キリスト教会  山田 行


 毎週の礼拝で、創世記のヤコブの生涯とそれに伴う家族についてのメッセージがされていま
す。
 神様の人間に対するお扱いの中にその愛の深さを感じさせて頂いています。とても感動し、
涙があふれることが度々あります。れは正しく同じお扱いによってこの私自身を導いて下さった
神様であることを思うからです。
 2000年前の出来事を読んで今も変わらない神様は生きてお働きになって下さるその現実
を自らも証しできることを感謝しています。
 私は牧師の家庭に生まれ育ちました。父と母は一生懸命できびしく教会に取り組んでいまし
た。ですので自然に"神様は生きていらっしゃる""教会を大切にしなくてはいけない"という家庭
内での暗黙の大きな柱がどすんといつも真ん中に置かれていました。
私は小さな時は教会が大好きでした。とても楽しかったからです。しかし、中学、高校と年を経
るにつけその大きな見えない柱が重くて息苦しくていやなものになっていました。同時に神様の
存在を無視し、親を陰でバカにするようになってきました。
 「人生は自分で選んで、決めて、切り開いて、そして自分で責任をとるならば好きなことをして
も良いではないか。」と学校の友人たちとそんな会話をしていました。しかし家に帰ると神第一
の生活をしなくてはいけない、集会、讃美、祈り、聖書を読むことすべてはしなくてはいけないも
のとして押しつけられている思いになっていました。もちろん不満はつのるものでした。
 その頃友人たちと話すことがとても楽しくて、外で観るもの聞くものすべてが私の興味を引くも
のでした。ファッション、グルメとよばれるもの、遊び、これらは人に迷惑をかけなければすべて
自由になるものと思っていました。しかし家に帰ると「お母さんは見ていなくても、神様はいつも
あなたを見ています。」「神様を悲しませてはいけないですよ。」と母にいつものセリフを聞かさ
れるのです。
 20才になったその5月に、今まで楽しくそして大切に思っていた男友達から、突然「おまえよ
り好きな人ができたからもう会いません。」と言われました。その時あまりにもびっくりしてどうや
って家に帰ったかも覚えていませんが、悲しいというより、これが人間のくり返してゆくものなの
か、とか、今まで何にはしゃいできたのか、とか、ぐるぐると考えこんでいました。
その夜集会があり、牧師である父から「神様はずっと待っていて下さる」という話を聞きました。
そして今神様のところへ帰りたいと強く願い、集会後父の前で悔い改めをしました。
私の罪はうそをつくなどありましたが、最大の罪は神様の存在を無視していた、ばかにしてい
た、ということを気づかされました。そして一つ一つを十字架の血潮によって赦して頂きました。
 ヨハネ1:12、13の御言葉をお約束のものと信じて新しい人生をスタートしました。
 この出来事なくして今の私はここにおりません。今も尚礼拝のメッセージの中にこんな私も生
かされていること、救いが私の中に生きつづけていることを心から感謝しています。


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