「同労者」第31号(2002年4月)                          目次に戻る

祈りの小部屋

 − 小原鈴子著、「かくれし力」から  −



 故山本岩次郎牧師は若い頃、淀橋ホーリネス教会の副牧師をしておられたことがあります
が、そのとき同教会の主任牧師は小原十三司(おばらとさじ)という方でした。その方の夫人は
小原鈴子さんといって、私たちの使っているインマヌエル讃美歌に彼女の作詞に成る数編の
歌が載せられています。この方の著書「かくれし力」は、特にご婦人方がよく学んでおくとよい
本です。
 その中の一くだりを、私たちの祈りの参考とするためにご紹介しましょう。
 献身して婦人伝道師になり、結婚話が持ち上がりました。しかし両親は猛烈に反対しました。
そうこうしているうちに彼女は結核になり医者も見放すまでになりました。両親も死ぬ身ならば
思いをかなえさせてやろうということになりましたが、それでも両親の徳川家からではなく、いっ
たん外に養女に出し、それから結婚という段取りがとられました。という内容のことが述べられ
た箇所に続く部分からです。



 ・・大正五年一月七日に式をすることになり、前日まで私は床についておりました。結婚式は
済ませましたものの、続いて来るものは葬式であるかも知れません。私どもは写真もとらず、
披露もせずに通しました。・・
 こうしてその日から福音の労働者として働き続けました。あやぶまれた健康も不思議に保た
れましたが。次に心配をかけましたのは、子供ができたら体はもつまいとのことでしたが、それ
も支えられ、十一人まで生まれました。・・
 案ずれば限りもなく、今度は生活に困るだろうということで、ある方が「もしや必要があったら
遠慮なく言っておよこしなさい」と言われました。私はご親切はありがたいことですが、私は周
囲に来る方々に、神様は祈りを聞いてくださいます、何があっても祈って助けられますようにと
教えていますから、自分の困ります時も神様によって解決しますので、ご心配下さいませんよう
に」ともうしました。そのとおり、神はどんな時にも助けて下さいました。また私どもは、不定の
聖日献金によって生活しておりましたので、時おり手もとがからになります。こんな時、私がとり
ます方法はただ一つ、すべてを知り給う天の父に祈ることです。
 ある土曜日、またしてもからになりましたが、日曜のご用を前にしている主人の心を煩わして
はなりませんので、耳に入れぬようにしていました。主人はそんなこととはつゆ知らず、来客に
お茶を出すように申しました。もちろんお菓子も必要です。そこで湯沸かしに水を入れてガスに
かけ、「すべてを知り給う神様、この水が沸きませぬうちに必要を与え給え」と祈っていますと、
ひとりのご婦人が勝手もとに来られ、「わずかですがお勝手のご用のために」と、為替入りの封
筒を渡して行かれました。湯はまだ沸きません。あまりにも現実的な応答に心はおどりまし
た。・・神に栄光あれ!
・・(小原鈴子著、「かくれし力」いのちのことば社、1987、p.78から)



 このような信仰を、もう時代が変わった!といって捨てるならば、"ペテロとヨハネが、美しの
門にいた生まれつき足なえであった人に「金銀は我になし」といったが、そういう時代は終わっ
た。・・"と言った富めるカトリックの僧侶が、"そのとおり。「されど我にあるものを汝にあとう」と
いってその足なえを立たせた時代も終わった。"と言われたという逸話のようになるでしょう。エ
リヤの神を見失って。(文責:野澤)


目次に戻る   表紙に戻る