「同労者」第31号(2002年4月)                         目次に戻る 

旅行記

― 聖地旅行見聞記 (13) ―

森聖泉キリスト教会  牧師 秋山 光雄

聖地旅行日程    1986年11月14日〜11月25日 (13日間)
日/曜日 出発地−到着地 主な訪問・見学地
20/木 ソドム・ガリラヤ(キブツハウス) 死海、クムラン、エリコ、ガリラヤ湖、
カペナウム、八福教会


11月20日(
(前月のつづき)次はペテロ召命教会のやや近くにある「五つのパンと二つの魚教会」である。
この教会は最近建て直したそうだが床にある" パンと魚"のモザイクは昔のもので有名なもの
との事だ。その他大切な所は昔のまま保存されているとか、モザイクは水を掛けると美しく甦る
そうだ。また回廊があり、奥が部屋で二階にも部屋といったこの形式の建物は、昔の隊商たち
の宿からヒントを得て作られているとか。馬やロバを繋いだ回廊、奴隷や下僕たちの宿は一
階、主人は二階というのだそうだ。この教会の売店で五つのパンと魚がデザインされている皿
と此処でしか売っていないというガリラヤの地図を買った。


パンと魚のモザイク

 次は今日の最後のコースである小高い丘の上にある「山上の垂訓教会」を訪ねた。其処は
ガリラヤ湖を見下ろす絶景の場所で、教会も色彩鮮やかな八角堂となっている大変美しい教
会であった。八福の福音を記念して八角の建物になっている、正に絵になる教会である。教会
の回廊から見下ろすとなだらかな段丘がのびて湖に続いている。その丘が垂訓の野と教えら
れた。河谷氏によると「おそらく群衆は海に向かって座り、主が下に立ち群衆を見上げるような
形で話されたと思われる。私たちが普通にみる主が上におられ群衆が下の図式ではなかった
ようだ」との事である。私たちは飽きることなくこの美しい夕暮れの丘からガリラヤ湖を見つめ
たのだった。


山上の垂訓教会


山上の教えの場所


山上の垂訓教会の内部

ガリラヤの山々に囲まれた湖、テベリヤ、マグダラの町々の遠望、カペナウムの廃墟、遠くガ
ダラ人のの地、ガリラヤ湖周辺は静かに一日を閉じようとしていた。その光景の美しさは譬え
ようがない。主の伝道されたガリラヤ湖周辺はナザレ、カナから通ずる湖岸のマグダラ、そして
カペナウムまで大人の足で歩いて3、4時間というほんの一掴みの区域であったということであ
る。そして今も残っている町はテベリヤしかないとの事である。しかし主のテベリヤ伝道の記録
は聖書にないと語られた。昔のカペナウムは交通の要衝地であり漁業の町であり、また良質
の玄武岩産地であり石工の町として栄えたが今は主の予言通り廃墟の町と化してしまったと言
われる。
 今日の宿はゲノサレのキブツゲストハウスである。キブツも現在はこのように多角経営で立
派ホテルもあるとの事、私たちは指定された464号へエレベータで上った。イスラエルへ来て
感謝ことは食事がバイキング形式であることだ。これなら自分の口に合うものを自由に選ぶ事
ができる。とは言え、パンはどこまでもパンで私の場合は握りこぶし大のパン一個、後は専らト
マト、卵、ジュース、野菜サラダで、肉、チーズ、ヨーグルト、コーヒー類は素通りである。だから
日本のような満腹感はない。食後ビデオで日本語版のキブツ紹介を見学。終わって質問は?
の声に誰も無言なので私は手を上げた。河野師が「あまり難しい質問はしないで下さいよ」と笑
いながら通訳してくれた。私の質問は、
@日本語版があるという事は日本人観光客が多いということか。
Aキブツの共同生活で不平不満、トラブルは起きないのか。
キブツの係は笑って答えた。@については「その通り、アナタも此処へ来て働きませんか」Aつ
いては「今のところそのような問題は起きていない」との事だった。河谷氏のガイドで、日本へ
電話するなら此処が一番安いと言うので、幾人かの人たちが電話していたようだ。イスラエル
では所によって電話料金が違うらしい。部屋に戻ってみると隣室の及掛さんが荷物の鍵が見
つからず困っていたが、有馬師が針金一本で見事あけてしまった。ガチャ、ガチャやっていた
ら自然と外れたと笑っていたが、何かにつけて頼りになる人物だ。静かな夜、グッスリと安眠の
床についた。

キブツのゲストハウス


キブツの人たちの家


ガリラヤ


テベリヤ





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