「同労者」第32号(2002年5月)                      目次に戻る 

読者の広場(4)

<お便り> わたしのふるさと
 荒川聖泉キリスト教会  永岡 みさ子

 (荒川教会の「教会だより」21号 2002/3/24発行 に掲載されたものです。)

「えっ、島根県?」「山形県?」。地図を頭の中で描きながら、私は鳥取県と島根県どっちがど
の位置だったかな?と。主人も富士山に近い山梨県のことを(まちがえて)想像していたようで
す。これは主人とはじめて出会った時、即ち昔の教会の茶の間で岩次郎先生が私達を紹介し
て下さった時の会話です。
 それ位知られていない所ですが、考えてみれば「柏戸」「おしん」「酒田大火」等々日本中を賑
わせた時代もありました。
 九人姉妹(生ませてまもなく二人は死亡)の九女として生まれ育ちました。家は小作農で祖
父、父の時代は大変苦労が多かったそうです。家族も大勢で十二人〜十三人分の食事の手
伝いをした事等、なつかしく思い出されます。
 東京には父の弟がおりましたので、上京するごとに、叔父の所でお世話になりました。当時
は夜行列車で延々と十〜十二時間もかけての上京でしたが、交通機関の発達で現在では新
幹線で新潟まで二時間、新潟から酒田まで特急で二時間、計四時間に短縮されるようになり、
最近は「庄内空港」ができましたので、一時間もかからずに行き来できるようになり、まるで夢
のようです。庄内平野のど真ん中で、見渡す限り田んぼといった所で、晴れの日は鳥海山と月
山、羽黒山と湯殿山がとてもきれいです。両親とも亡くなりましたが、父は大変信心深い人でし
た。仏教徒でしたが一日の生活が終わり静かになった時、又一人なった時、念仏をとなえてい
る(私達はクリスチャンの祈り)姿が印象的です。私がクリスチャンになったことについて、(どこ
で学んだのか)自分が信じている浄土真宗に一番近い宗教であると行って反対もせずに、受
け入れてくれました。今考えてみれば、私もこのキリスト教会に自分から求めて来た訳でもあり
ませんし、不思議なお導きの故ではありますが、この父の信心深さの影響もあったのかなと思
いながら、信仰年月が長くなり、年齢を重ねているこのごろ、父が祈っているその時の姿、そ
の心情に深く共感を覚えている毎日です。
 現在八十一才の長姉を頭に四人が酒田に住んでおり、又三人が久喜、船橋、荒川と二グル
ープに分かれて、それぞれ夫婦共に誰一人欠けることなく、仲良くしておれることを大変嬉しく
思っております。



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