「同労者」第32号(2002年5月)                          目次に戻る

信仰良書

 − 神 へ の 道  (25) 
D.L.ムーディー 著   仙台聖泉キリスト教会 山田 大 訳

死に行く兵士

 ピッツバーグ上陸作戦の後、私はムーフリースボロの病院にいました。ある時真夜中に起こ
され別の病棟に私に会いたがっている男がいると告げられました。私が会いに行くと彼は私を
病棟附属の牧師と呼び――実際はそうではありませんでしたが――死の苦しみを和らげて欲
しいと言いました。私は「もし出来るものならあなたを抱きかかえて神の御国へ運んであげた
い。しかし私には出来ない」と言いました。彼は「誰なら出来るのですか」と聞きました。「主イエ
ス・キリストです。彼はそのために来られたのです」私は言いました。彼は首を振りながら言い
ました。「彼は私を救うことは出来ません。私の人生は罪だらけなのです」「でも主は罪人を救う
ために来られたのです」そう私は答えました。北国にいる彼の母親のことを考えると彼が安ら
かに死ねたかどうか心配しているに違いないと思ったので、私は彼のそばにいてやろうと決心
しました。私は2度か3度祈り、思いつく限りの約束の御言葉を繰り返しました。彼が数時間後
には逝ってしまうのが明らかだったからです。
 私は、或る自分の魂のことを気に病んでいた人に対してキリストがなさった会話のことを読ん
で聞かせたいと言い、ヨハネの3章を開きました。彼の目は私に釘付けになり、14節15節に
来た時、彼はその御言葉を捉えました。「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上
げられなければなりません。 それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つた
めです」。
 彼は私が読むのを遮って言いました。「そこにそう書いてあるのですね」。私が「はい」と答え
ると彼はもう一度読むよう私に願いました。私が読んでやると彼は両肘をベッドにもたせかけ
両手をしっかり握りしめて言いました。「素晴らしいな。もう1度読んでもらえませんか」。私は3
度目を読むと続けてその章の残りを読みました。
 私が読み終えた時、彼の目は閉じ、両手は組まれ、顔には微笑みがありました。なんという
輝きでしょう。なんという変化が起きたのでしょう。私は彼の唇が震えるのを見て、彼の上にか
がみこみました。かすかな囁きが聞こえました。「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子も
また上げられなければなりません。 それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを
持つためです」彼は目を開けて言いました。「それで十分です。もう読まないでください」彼は2,
3時間、この2つの節を枕のようにして生きながらえていましたが、やがてキリストの馬車に乗
り神の御国に席を占めるために昇って行きました。(つづく) 



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