「同労者」第33号(2002年6月)                          目次に戻る

聖書講義

 − 昨日のサムエル記 (その21)  −
仙台聖泉キリスト教会  牧師 山本 嘉納

 昨日の「聖書を学ぶ会」で最後にマルコの福音書12章42、43「そこへひとりの貧しいやも
めが来て、レプタ銅貨を二つ投げ入れた。それは一コドラントに当たる。すると、イエスは弟子
たちを呼び寄せて、こう言われた。『まことに、あなたがたに告げます。この貧しいやもめは、献
金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。』」を開いて締めくくりの話をし
た。1レプタは1デナリの128分の1である。分かりやすいようにちょっと計算すると、デナリが
一日の賃金として12800円。1レプタは100円てところである。異議のある方もいらっしゃるで
しょうが、わかりやすくするための額面である。彼女は所持していたこの日の生活費200円全
部を献金箱に投げ入れたのである。貧しいなりに彼女にも誘惑はあったであろう。聖書は1コ
ドラントとだけ書かずにレプタ銅貨が彼女の手に2枚あったことを強調している。それは一個献
げて一個手元に残すことも出来たのである。キリストは弟子たちを呼んで彼女の行為を称賛し
たが、彼女が直接キリストから何かを得たとは記されていない。彼女は間違いなく天に宝を積
んだのである。献げることは貧しい者を決して例外とはしていない。そう考えると献身ということ
に能力の無い者、ハンディーを持っている者、病の中におる者のわずかな奉仕を決してその
例外とはしていないのである。天に宝を積むことの意義を本当に知っている者は、この世にあ
ってきっと無敵の勇士となりえるだろう。その本当の価値を知っている者は、この世にあってこ
れ以上の富を必要としないであろう。
 今日、取り上げるのは預言者である。ダビデに対して命がけで彼の罪を糾弾した預言者ナタ
ンである。ダビデの姦淫とその後始末のための殺人は、ある程度秘密裏に行なわれたようで
あるが実際、それに関わった者が多くいたであろうからちょっと調べれば真相は見えてくる。今
時の芸能レポーターのようにそれを公表してもこれらの事件は、この時代の専制君主の日常
であるだろうから「だからなんだ。」と言われて逆に反逆罪か何かで死刑である。真実を突き止
めても、またそれをレポートしても何の徳にもならない。ましてこの真実を王に突きつけて責め
るなど…。
 しかし、ナタンはそれをした。彼について聖書はその出身や家系を明らかにしていない。その
意味で彼は聖書の預言者像にマッチしている。神はそのようなものにとらわれず人を選び、そ
の口にご自身の意向をあらわし伝える。突然、力が与えられ神の御旨を告げて世に出る者も
いればナタンのように預言者学校の生徒として学び、優秀な卒業生として王のもとに推薦され
召抱えられた者もいる。(筆者の推測)サムエル記の著者問題として最初のころに取り上げたと
ころである。聖書に記されているわけではないが間違いなくサムエルの愛弟子の一人である。
もう一人ガドと言う預言者(彼の肩書きは先見者である。)がいた。ガドとダビデの関係は流浪
時代(サムエル記T 22:5)から始まりナタンとダビデの関係はエルサレム占領後(サムエル記U7:2)
に始まる。両者サムエル亡き後大切な働きを持ってダビデに仕えていた。否、イスラエルの
神、主に使えていたのである。
 話をちょっと変えるがダビデは、彼の王としての人事権を用いて将軍ヨアブが力を持ちすぎな
いように警戒した。ヨアブはダビデの甥っ子にあたるが、ダビデが末っ子だったので世代はほ
ぼ同じであった。武将としての能力はあったがなかなか手を焼いた部下であった。彼を上手に
扱うためにダビデは将軍を2人置こうとした節がある。一人はイスラエル軍団の長、もう一人は
近衛兵団の長である。サウル王の死後、将軍アブネルをたててサウルの子イシュ・ボシェテが
イスラエルの王となった。しかし、イシュ・ボシェテがあまりに愚かなので全イスラエルをダビデ
に譲ることをアブネルは提案した。すでにヨアブという将軍がいるにもかかわらずダビデはアブ
ネルを将軍として受け入れ、同時にイスラエルを手に入れた。(サムエル記U3章) 
 ダビデは同様に祭司を2人おき、1人に権力が集中しないようにした。預言者もガドとナタン
の2人である。ダビデと言う人物は、そのようにしながら彼の支配権を、知恵を用いて行使しよ
うとしたのである。       
 だからと言ってダビデ王家の繁栄は彼の政略的知恵によるかと言うとそうではない。ご承知
の通り、神第一とした信仰が王国繁栄の鍵である。
 彼は、王国が安定した時、神殿建設を思い立った。イスラエルが神の民であることを内外に
明らかにするために絶対に必用な事業である。そしてそれは誰が見ても正当なものであった。
しかし、ダビデはそれを王の一存で行なわなかった。着工の前に神の御旨を預言者ナタンに
問うたのである。宗教を利用して政治をするか、真の宗教に従って政治をするかがこの辺に現
れている。同様に神の為の事業、教会の為の企業と言っているがその実、一向にその経営者
が宗教的でなければ、それは単にそれらを利用しているか、せいぜいご利益宗教的な考えし
かない世の人々と同じである。仮に神の器が経営や事業の内容に精通していないとしても真
に神を信じてことをなそうとする経営者は自らの一存でそれをすることを警戒しなければならな
い。なぜならダビデは預言者ナタンに「ノー」と言われたのである。否、神が「ノー」と言ったので
ある。
話を戻すが、ダビデが2人の預言者を常に持ったということは決して子供がその事情に応じて
父親と母親を使い分けるようなそんな動機ではなかったであろう。神の御旨に自らが間違いな
く従って歩んでいることを常にチェックさせていたのである。そしてそれが機能する時が来た。
 姦淫事件の断罪にナタンが用いたたとえ話は実に見事である。省かずに載せてみたい。「あ
る町にふたりの人がいました。ひとりは富んでいる人、ひとりは貧しい人でした。富んでいる人
には、非常に多くの羊と牛の群れがいますが、貧しい人は、自分で買って来て育てた一頭の小
さな雌の子羊のほかは、何も持っていませんでした。子羊は彼とその子どもたちといっしょに暮
らし、彼と同じ食物を食べ、同じ杯から飲み、彼のふところでやすみ、まるで彼の娘のようでし
た。あるとき、富んでいる人のところにひとりの旅人が来ました。彼は自分のところに来た旅人
のために自分の羊や牛の群れから取って調理するのを惜しみ、貧しい人の雌の子羊を取り上
げて、自分のところに来た人のために調理しました。」(サムエル記U 12:1〜4) ダビデはまさか
自らのことを言われているとは思わずに話しの中の男に死刑を宣告した。ダビデに自分の罪
に対する刑罰を決めさせたのである。ナタンはどこからこの知恵を得たのだろう。私自身も礼
拝ごとに神の御旨を語ることを願い、同時にいかに礼拝に集う者が(自らを含め)自らの必要や
不必要に気付き悔いと改善を持ってそれらに臨めるよう語れるかを考えている。真理と解き明
かしも重要だが上手に話すことも同じく重要である。しかし、ナタンのたとえ話が上手だったか
らダビデを悔い改めに導けたのではない。同様、上手なたとえ話を思いついたからダビデの所
に出掛けて行ったのでもなかった。主に使える預言者にとって神の聖を蔑ろにした王への怒り
は至極当然のものであり、それはまさに彼の勇気となって彼を王の前に立たせた。主に対する
畏れはダビデに対するそれとは比べものにならなかった。同時に隣人を思う預言者の心は神
の慈しみを限りなく信じる愛となってダビデに臨んでいたのである。ダビデは罪を認めた。そし
て神に赦しを希った。神は深い慈しみを持って彼を御赦しになられた。御赦しの宣告もナタン
によってなされた。この様にもう一つのナタンの仕事は前の糾弾のように一時で終わるもので
はなかった。ダビデの悔い改めを認め事後処理を共にすること。今度は義認と言うこれもまた
困難な働きに自らを就けなければならなかった預言者ナタンである。次回にこの続きをしま
す。



「朝は、花を咲かせているが、また移ろい、夕べには、しおれて枯れます。・・
私たちに自分の日を正しく数えることを教えてください。そうして私たちに知恵の心を得させてく
ださい。」・・詩篇90

 


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