「同労者」第34号(2002年7月)
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巻頭言 壮健です。私の今の力は、あの時の力と同様、戦争にも、また日常の出入りにも耐えるので す。どうか今、主があの日に約束されたこの山地を私に与えてください。・・』・・それでヘブロン は、ケナズ人エフネの子カレブの相続地となった。・・それは、彼がイスラエルの神、主に従い 通したからである。」(ヨシュア 14:6〜14) 本年5月で満60歳、救われて満40年になりました。これまでの歩みに主の豊かな恵みを覚 え感謝しています。 振り返ってみますなら、この40年間、自分自身のことも家庭も仕事もすべて教会を中心にま わってきたといっても過言ではありません。教会は主の体ですから、主と共に歩んだとも言える ことであってこれに勝ることはないと思います。信仰の入り口において確かな認罪を与えられ たこと、確かな罪の赦しと新生のいのちが与えられたこと、確かな潔めの経験に導かれたこと がそのように歩まさせて頂く源になりました。 主から私に委ねられた者たちのため、信仰の戦いが続いております。またこの世の仕事も定 年となりましたが、出向先にそのまま継続して勤めることができ、職業では変化を感じません。 暫く前に教会の現状を考えて、もう少し仕事についても現役を続けさせて頂かないとならないと 思って取り組んできた結果、このような展開を与えられました。教会の働きでは、教会学校成 人科、聖書研究会の担当や南光台(私たちの家)の家庭集会・・ご用は山本嘉納先生にお願 いしていますが・・をさせて頂いて、この点においても内容は変わって行くかも知れませんが、 今暫く現役をさせて頂けるであろうと思っています。私より年上の方々が引退されたり、亡くな られたりしていつの間にか私が信徒役員で一番年上になりました。自分よりも年上の方々がお られるときには考えなかった"教会の役員は何をするのか"との思いがあらためて致します。こ れまでの歩みがそうであったのと同様にこの先の歩み、信仰の課題に対する取り組みもきっ と、潔めこそが私の信仰のいのちの源でありつづけるであろうと思っています。そして潔めの 中心は「品性」ですから、私はどのような品性の持ち主であるのか、自分の心を見守ろうと思い ます。 富にも誉れにも知識にも楽しみにも、この世つまり肉に属するものと福音に相応しいものとが あります。この世に心を渡すなら不従順の臭い、肉欲の臭い、傲慢の臭い、貪欲・吝嗇の臭い のするものとなるでしょうし、この世に対して死ぬ、己に死ぬ・・キリストと共に十字架につき続 ける・・ならば、全焼のいけにえのかおりである「かぐわしいキリストの香り」を放つものであるこ とが許されると信じています。 そうして、神が私の前に置かれている課題に勝利させて下さいますように。 |