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          「同労者」第35号(2002年8月)
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          祈りの小部屋 
          「絶えず祈りなさい。」(テサロニケT 5:17)
           
          
           これはパウロの勧めですが、パウロを遣わされた神のご命令でもあります。
           
          
           これまで取り上げてきた引例は、神が私たちの祈りに応えて下さった実例でした。祈りは、神
           
          が祈りに応えて下さると信じることから始まるからです。 
           次に、"神は私たちを祈りに召しておられる"ということを考えたいと思います。
           
          
          <E.M.バウンズ、祈りによる力、いのちのことば社、1994、p.5 から>
           
          
           私たちはいつでも、教会を発展させ、福音の拡大と効果とを確実にするための新しい方法・
           
          新しい計画・新しい組織などを考えだすために、一生懸命になっています。 
           このような現代の傾向は、ともすれば個人の重要性を無視させ、計画や組織の中に個人を
           
          見失わせてしまう恐れがあります。しかし、神はほかの何にもまさって個人を重用視するので す。個人をお用いになること、これこそが神の選びたもう方法なのです。 
           教会は、もっとよい方法はないかと求めていますが、神はさらにすぐれた人を求めておられま
           
          す。聖書に「神から遣わされたヨハネという人が現れた。」(ヨハネ1:6)とあるように、キリストがお いでになることを告げ知らせ、そのために道をそなえることは、ヨハネというその人にかかって いたのです。・・ 
           福音の栄光と効果とは、それを宣べ伝える人のいかんにかかっています。神が「主はその御
           
          目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあら わしてくださるのです。」(歴代誌U16:9)と言われたのは、神が人を必要とされていること、すな わち、この世の中でご自分の力を発揮されるための器となる人を求め、人にたよっておられる ことを明らかにしておられるのです。 
           この絶対的真理が、今日では忘れ去られやすいのです。しかもこれを忘れることは、神のみ
           
          わざに対して、ちょうど大空から太陽をたたき落としてしまうほどの、大きな被害を与えます。そ の結果暗黒と混乱と死なのです。 
           いま教会が必要としているのは、もっとよい機械・器具でも、新しい組織でも、あるいはもっと
           
          多くの新奇な方法でもなく、聖霊が用いたおもうことのできる人、すなわち祈りの人、祈りにお いて力ある人なのです。聖霊は、方法を通してではなく、ただ人を通してのみあふれ注がれる のです。聖霊は計画などではなく、ただ人――祈りの人の上にだけその力をお与えになるので す。・・後略 
           バウンズは、説教者は祈りの人でなければならないことを語っていますが、クリスチャンはす
           
          べて祈りの人であることが求められています。それは私たちすべてに対する神のご召命なので す。(文責:野澤)  |