「同労者」第35号(2002年8月)                          目次に戻る 

論  説
 ― 中盤戦を戦おう ―

「信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、また、
多くの証人たちの前でりっぱな告白をしました。」(テモテT 6:12)

 「中盤」というのは、もともと囲碁・将棋の世界のことばであるのでしょうが、広く使われるよう
になり、本当の戦争にも相撲や野球などスポーツにも、また選挙などにも使われるようになりま
した。
 それは私たちの信仰の戦いにもぴったりの表現です。1年1年がひとくぎりと考えられます
が、総会聖会を越えると中盤戦に突入し、サマーキャンプはその真っ最中ということになりま
す。秋が来ると中盤から終盤へと向かうわけです。
 夏のこの期間は休みも多く、開放的になりがちで、この世の誘惑の多い季節であることは言
うまでもありません。大人も気を引き締めていないと自らもどんな踏みはずしをするか分かりま
せん。「小人閑居して不善をなす」の原典は中国人の教えかも知れませんが、的を得た指摘で
あるためにことわざとして日本でも広く使われています。人間ひとりでいる時、閑である時は誘
惑に陥りやすいことを表しています。
 若者は、教会で救われた仲間と共にいることに勝ることがありませんし、彼らよりも年上の
人々も、また集まって互いに燃やされることが必要でしょう。老人といえる年令に達した人々も
やはり一緒におりまた担うべき荷を持ち続けることが大切でしょう。年令に応じて異なった役割
が教会の中にあります。
 以上のことは「守り」の発想です。信仰の戦いにおいても"攻撃は最大の防御"です。私たち
の愛する者たち・・この世の身内であれ、血縁のない隣人であれ、これまで知らなかったとして
も神に導かれてその救いのために働くようになった人々であれ・・が、サタンの虜となっている
のでしたら、サタンの城に攻め込んで取り返してくるといった意気を持ちたいものです。
 会社やあるいは何かのきっかけで知り合いになった人を教会に連れてきたい、彼を救いたい
と願い、機会を見つけては伝道するとき、そのために自らの生活を整えることが出来るように
なるものです。そのとき祈りに力が入り、神にせっついて祈ることができます。
 神に使命を与えられ、その使命を果たすためにひたすら祈ることほど私たちの霊性を高めて
くれるものはありません。霊性は神との交わりによって高められるものですから。「神は、みこ
ころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。」(ピリ
ピ2:13) 神のために戦う志を与えられようではありませんか。
「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」(イザヤ6:8)
  

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