「同労者」第35号(2002年8月)
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11月21日(金)
(前号のつづき) テルアビブ(現在のイスラエル首都)を過ぎる頃、交通事故の現場を通っ
た。「明日は安息日で夕暮れまでに家に帰ろうとする車で北上の斜線はこんなに混みますが南 下する我々はこんなに空いています。こんな時にはよく事故に出合うものです」とガイドのあっ た直後だったので河谷氏は「ほら、やった」と言った。安息日を家で守る週間のあるユダヤ人 の各家庭にはエリヤの席というものが設けられていて空席にしえ置くらしい。それはメシヤの 来る前にまずエリヤがくるという聖書の言葉に基づいているとの事だ(マタイ17:10)。「ユダヤ人と 一口に言っても純粋な律法に生きているユダヤ人は15%、まあまあの人は15%、残り70% は割り切ったユダヤ人である。もちろん彼らも結婚その他の大事な時はラビを招いて祈って貰 ったりするが後は殆ど律法とは無関係の生活をしている。例えばこのモーシェさん(運転手)も 70%の一人。彼は安息日なのに我々のために運転してくれている。でないと飯の食い上げに なってしまうから」と河谷氏は説明された。ユダヤ人が即、ユダヤ教徒というのは日本人が即、 仏教徒と見られるのと同じ位困難な問題なのです、とも教えてくれた。しかしイスラエル航空は 安息日には飛ばないという。国会議員の中に熱心なユダヤ教徒らがいて、それを阻んでいる らしいがここでも利潤よりも信仰を優先する聖書の民の国民性を見る思いがする。ひるがえっ て日本では信仰よりも経済を優位に置くエコノミックアニマルが絶対権を持っている。可否はと もかく考えさせられる問題が此処にもあった。
テルアビブ空港は岡本公三らのライフル乱射事件で有名になった空港である。この空港は
旧地名でルダにある為、ルダ(ロッド)空港とも、また初代イスラエル首相、建国の偉業をなし 遂げたベングリオン氏に因んでベングリオン空港とも呼ばれている。
このロッド空港あたりから左折するとこの辺はアヤロンの野と呼ばれる平原が続いている。
私たちは途中、エマオに立ち寄って見学。このエマオはエルサレムから、またテルアビブ、ヨ
ッパ、カイザリヤあたりからそれぞれ約一日の道のりであり、復活の主が現れた夕方、エルサ レムを発つと丁度日没の地点となる。聖書にエルサレムから11キロとある(ルカ24:13)。
エマオの記念教会はビザンチン時代に作られたもので(AD15c)美しいモザイクタイルが残さ
れていた。
エルサレムに通ずるエマオの坂道をバスで走り行く事約2〜30分、私たちの目にエルサレ
ムの新市街の住宅群が姿を見せ始めた。ビル群はエルサレム石と呼ばれる石灰岩で作られ 色はどれもこれも同じ色をしている。また何か整然とした美しさがある。看板もなく木や草花が 多い故かも知れない。ともかく新市街は高層ビルの立ち並ぶ大都会の風情である。道路も大 都会特有の風格がある坂の町だ。日本は概して平地や低地に住宅があるが此処は丘の上に 住宅が密集している。その点日本とは反対である。道行く人の中に黒の帽子、黒服、長い黒い ズボンをはいているのは典型的な純粋のユダヤ人(いわゆるパリサイ型か)であるとい
う。兵隊たちも安息日休みで家に向かう姿が見られる。夕方になると安息日開始で都市機能
がストップするので急がねばと聞かされ乗せて貰っている我々まで何となく気が気ではない。バ スは日没前に無事、宿舎のエルサレム・モーリヤホテルに到着した。流石に一流のホテルであ る。今までとは風格が違う。夕食も中々のものでリッチ気分満点だ。婦人たちもかなり優美に 着飾って席についた。私も一応正装してレストランへ。夕食は一時間かけてゆっくりと取る。海 外旅行から帰った者が自宅の夕食の貧しさ、種類の少なさ、淡泊さに「えっ、これだけ?」と言 って奥さんに叱られたことがあると、誰かが笑って話していた。確かに夕食(または食事)果た す意味を考えて見なければいけないと自分の心に話してみたのである。経済の豊かさや貧しさ の差だけでない「あるものの欠落がないか」反省させられる。このホテルで今日を含め3泊の 滞在である。一般の観光客は夜のエルサレムに繰り出すらしいが、私たちは河谷氏の要請も あり静かに主の苦悩を偲びつつエルサレムの夜の寝についた。
(この日の記つづく)
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