「同労者」第36号(2002年9月)              目次に戻る      表紙に戻る

祈りの小部屋

 − バウンズ、「祈祷の目的」から  −


「あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうす
れば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。」
(ヨハネ 16:24)
 先月号から「祈りは聞かれる、神に応えていただける」というテーマに変えて、「私達は祈りに
召されている」ということを考えています。今回もバウンズの著書を引用しますので参考にしてく
ださい。


 <E.M.バウンズ、祈祷の目的、東宣社、1957、p.3 から>
 世界は祈りが多ければ多いほど善化する。そしてどこでも悪を拒絶する力が強くなる。祈り
の力の一面は解毒剤であり、又防毒剤である。祈りは空気を清くし、悪の感染を破壊する。祈
りは決して一時的のものではない。祈りは注意されない叫びでもなく、又静寂の中に消え去っ
てしまうものでもない。祈りは神の耳に届く声であり、神の耳が聖い訴えに開かれている間、又
神のみ心が聖いことにとどまる間は永遠に生きている。
 神は祈りによって世界を形づくりたまう。祈りは不朽のものである。祈りを捧げた唇は死のた
めに閉じ、祈りに感動した心臓はその鼓動をとめることがあっても、祈りは神のみ前に生きて
いる。そして神の心はその祈りの上にとどまり、これを捧げた人々の生涯よりも永く、又その世
紀よりも永く、又世界よりも永く生きるものである。
 最も多く祈った人、最もよく祈った人は、最も永く生きる人である。彼らは神の英雄、神の聖
徒、神のしもべ、神の代理人である。人は過去に捧げた祈りの故にさらに聖く生きることが出
来る。最も多く神に嘉納される祈りをした人は次の世代に対して最も真実な最も大きい奉仕を
した人である。聖徒の祈りは来らんとする時代を、罪と害悪の破壊的浪から守る力である。そ
の香炉が豊かな祈りにみちていない子らの時代はわざわいである。彼らの先祖たちは祈るに
はあまりにも多忙で、不信仰であった。そしていいあらわしがたい危険と、語ることの出来ない
結果が、その子孫の不幸な嗣業となっている。
 その父と母とが豊かな祈りの遺産を残した人々は幸福である。
 神の聖徒の祈りは点の資本で、キリストはこれによって地上におけるその事業を経営したも
う。地上の大いなる陣痛と激動とはこれらの祈りの結果である。祈りがさらに強き力をもって働
き、さらに迅速な翼をもって飛びかけり、神の政治がさらに強く行われる時である。
 神の事業の最も力ある成功は祈りのよってつくられ、とげられるのである。神の勢いの日、す
なわち天使の活動と力の日は、神の教会が最強の信仰と祈りの嗣業を得た時である。聖徒が
最も力ある祈りにその身をわたした時こそ、神の勝利の日である。地上にある神の宮が祈り
の家である時、天にある神の軍団は勝利をまとい、戦利品を分け、敵は四方に散乱する。
 神は祈りによって神の生命とその繁栄とを形づくりたもうのである。この条件は、この世にお
ける神のみわざの存在そのものに関連している。「わたしに求めよ」とは神がその働きと進歩
と勝利とにつけたもう一条件である。
 人は祈るべきものである。――神のみわざの進歩のために祈るべきものである。祈りは神を
して世界の推進力たらしめる。祈っている人にとっては神は現実な力の中に臨在したもうお方
である。実に詩の第二篇はイエス・キリストによる神の事業建設の描写である。あらゆる時代
はイエス・キリストの即位に流れ込んでいる。神はその子の即位を告げたもうた。諸国民は神
の御事業に対してはなはだしい憎しみに燃えている。神は彼らの取るに足りない憎しみに対し
て、あざけりたもうお方として描かれている。主は彼らをあざけり「わたしはわが主を聖なる山
シオンに立てた」といいたもう。神のみことのりは永遠に動かぬものとして仰せ出された。
  わたしは主の詔(みことのり)をのべよう。
  主はわたしに言われた、
  「あなたはわたしの子だ。
  きょうわたしはあなたを生んだ。
  わたしにもとめよ、わたしはもろもろの
  国を嗣業としてあなたに与え、
  地のはてまでもあなたの所有として与える。
  あなたは鉄のつえをもって彼らをうち破り、
  陶工のつくる器物のように彼らを
  うち砕くであろう」と。
 わたしに求めよとは条件である。祈る民が心から従わなければならぬ条件である。それ故
人々は神に対してたえず祈り求める。この世界的な単純な約束のもとに昔の男も女も神のた
めに努力した。彼らは祈った。神はこれに応えて神の事業は彼らの祈りのほのおによって活
かされてきた。
 祈りは神のみ子の王国を動かす唯一の条件として決定された。「求めよ、そうすれば与えられ
るであろう。さがせ、そうすれば見出すであろう。門を叩け、そうすればあけてもらえるであろ
う。」キリストの王国の最強者は最もよく叩く人である。キリストの王国の成功の秘訣は祈る力
である。祈りの力を用いうる人はキリストの王国の強き者、また聖きものである。最も大切な学
課はいかに祈るべきかである。
 祈りは最も聖き生涯、最も聖き奉仕のキーノート(基調)である。神のために最も多くなす人
は祈りにおいて高くすぐれた人である。イエス・キリストはこの順序によって奉仕をなされた。



「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず
目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。」(エペソ6:18)
 このバウンズやアンドリュー・マーレーらの書物に触れ、祈ることを覚えたいものです。クリス
チャンは祈りに召されている・・つまり祈りはクリスチャンの義務であると共に、神が祈りを聞い
て、応えてくださるというすばらしい特権です。(文責:野澤)





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