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           ショートコラムねだ 
           中学生のとき「起承転結」っちゅうのを教わった。漢詩には「絶句(ぜっく)」というのがあって、
           
          漢字五つ×4行は五言絶句(ごごんぜっく)、漢字七つ×4行は七言絶句(しちごんぜっく)とい うとか。次の絶句が例である。高校でも同じ事を教わった。2回も習えば多少は覚えている。 ![]() 
          (起)少年老いやすく、学なりがたし
           
          
          (承)いっすんのこういん軽んずべからず
           
          
          (転)いまだ覚めずちとうしゅんそうの夢
           
          
          (結)かいぜんのごよう、既にしゅうせい
           
          
           人は年をとるのが速く、学問を修めるのは難しい。だからちょっとの時間でも軽視してはいけ
           
          ない。庭の池のつつみの草がまだやっと春が来たと感じているうちに、門前のあおぎりの葉に はもう秋の気配がしている。 
          勉強せいよ!というわけであるが、素直な人は表の勉強をし、へそが横についている人は裏
           
          の勉強をする。 
          詩には「詩想」というものがある。その詩想を先ず起こし、その流れを汲んで次の段落を創る。
           
          その次はぐっと変化に富ませ、最後は全体のまとめとして最初の詩想に戻るというのである。 
          文章を書くときにもこのような構造にすると、説得力のあるものになるそうである。
           
          
           同じ中学校の音楽の先生・・ご婦人であった・・は、"曲には「曲想」というものがあって、よく歌
           
          われる曲の多くは曲想が起承転結にできているのよ。"といっていた。例として、「澄みゆくみ空 に夕日は落ちて」(讃美歌140番「我らの罪とが」)の曲を取り上げていた。おたまじゃくしは描 きにくいゆえ、ドレミでお許しあれ。 
          (起)ソ−ソラソミドド−ラ、ソ−ドミドソミレ・・A
           
          
          (承)ソ−ソラソミドド−ラ、ソ−ドミレドシド・・A´
           
          
          (転)レ−ドレミファレミ−ソ、ラ−ラソミファミレ・・B
           
          
          (結)ソ−ソラソミドド−ラ、ソ−ドミレドシド・・A´
           
          
          先生の説明は"最初の曲想をAとすると、以下Aを少し変えたA´が続き、次は気分をかえたB
           
          がきて、最後はA´にもどってまとめられている。"というものであった。 
          アメイジング・グレイスもほぼ同じ構造でつくられている。確かに曲想は大切である。時にはア
           
          ドリブもいいけれど、曲想をはずれると、ケーキを食べている時にさしみが出てくるようなものに なる。 
           さて、讃美の詩を書き曲をつくる若さを有する諸君、・・実年齢を問わず・・たまには型にはま
           
          った詩、型にはまった曲もつくってみようぜ。 
           その讃美歌が永くみんなに歌われるために。
           
          
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