「同労者」第36号(2002年9月)            目次に戻る     表紙に戻る

旅行記

― 聖地旅行見聞記 (18) ―

森聖泉キリスト教会  牧師 秋山 光雄

聖地旅行日程    1986年11月14日〜11月25日 (13日間)
日/曜日 出発地−到着地 主な訪問・見学地
22/土 エルサレム(モーリヤホテル) オリーブ山、シロアム池、鶏鳴教会、晩餐教会、
ゲッセマネ、羊飼の野、ゴードン園の墓


11月22日(土)
 早朝ホテルを抜け出し有馬、石神氏ら数名と旧市街(城壁で囲まれた町)の見学に出掛け
た。地図を頼りで誰も自信がない。あっちだ、こっちだと言い合いながら歩いたら、ヒンノムの
谷があった。(もちろん後で教えられて分かったのだが)其処は城壁からは窪地となって新市
街と結ばれている谷なのだが美しく整備された公園風になっている。此処がゲヘナと呼ばれ黄
府(よみ)と言われ、映画ベンハーの中でベンハーの母と妹がらい病になって身をひそめた谷
と言われる。都エルサレムから出されるごみや汚物の廃棄の場、昼も夜も火が燃え続け、主イ
エスが指摘された「ゲヘナの火」(マタイ5:22)の場所と言われるが今は全くその面影はない。城門
をくぐり迷路のような暗く人通りのないアーケードの下を歩く。とても一人で歩けない気味悪さが
ある。とにかく歩いて城外に出て無事ホテルに戻った。帰路に立派なYMCAの高いビルがあり
カメラに収めた。靴が新しい故か、かかとが痛くなり先が思いやられるナと内心思わされた。


ヒンノムの谷から城壁を望む


ヒンノムの谷


ヒンノムの谷にあるYMCA

 朝食は8:30分。再びバスで出発。安息日(シャバット)なので河谷氏は今日訪ねるコースを
工夫しているようだ。中々計画通りには運ばない。エルサレムは古い歴史の町で破壊、再建、
破壊の歴史が色濃く刻まれており町の区画、史跡、城壁の区別がつきにくい。現在見られる外
周の城壁は1600年代にトルコのスレーマンによって築かれたものだという。北の門と呼ばれ
るダマスコ門をバスから案内されて見たが、その門の下にまた小さな門があり、それが後世、
発掘された第2神殿時代のものだと教えられた(捕囚後エズラ、ネヘミヤらによって築かれた。
第1神殿はソロモンによる建築。第3神殿はヘロデ大王の建築)。私たちは先ずオリーブ山に
行った。其処でエルサレムを展望したが、絵や写真で見るエルサレムがそのまま眼前に広が
っている。実に感動的である。エルサレム最高の観光地点をよく知っているアラブの商人たち
は此処に大勢いてエルサレムの写真を片手に「ワンダーラ、ワンダーラ」(1ドルの意味)としつ
こく迫って不気味な恐ろしさ(?)を感ずるほどである。河谷氏はエルサレムを指差しながら聖
書に関わりのある殆どの建物や場所を教えてくれた。そして「私たちが聖書で知っている殆ど
すべてが今私たちの目の前にあります。大体ご理解頂けたでしょうか」と結んだ。今立つオリー
ブ山と対岸のエルサレム市街の間の谷はケデロンの谷でありエルサレムは海抜800メート
ル、オリーブ山は更に100メートル高い900メートルであるという。

オリーブ山よりエルサレムを望む


オリーブ山よりエルサレムを望む(2)


オリーブ山よりエルサレムを望む(3)


主の祈り教会内部

次いで訪れたのは主の祈り教会。此処には世界各国語で訳された"主の祈り"がたたみ一畳
ほどの大きさのパネルに刻まれていたが残念ながら私は日本語訳のものを見つける事が出
来なかった。この教会の庭で朝の礼拝を持った。長谷部師のメッセージはヨシュア記5章の
「汝は我を助けるか。または我らの敵を助けるか」よりのもの。そして神を自分を助ける為の奴
隷にしてはならないと語られた。(この日の記つづく)



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