「同労者」第36号(2002年9月)             目次に戻る    表紙に戻る

信仰良書

 − 神 へ の 道  (29) 
D.L.ムーディー 著   仙台聖泉キリスト教会 山田 大 訳


 彼自身のために依頼された祈り
  しかし30日間のその集会が終わろうとする頃、彼は私のところへやって来て震える手を私
の肩に置きました。集会が持たれた場所は幾分寒く、隣接してただガスだけが炊かれている
部屋がありました。彼は私に言いました。「ほんの少しの間こちらに来ていただけませんか」私
は彼が寒くて震えているのだと思い、私自身もこれ以上寒いところへは特に行きたいとは思い
ませんでした。しかし彼は言いました。「私はバーモント州で最も悪い人間です。私のために祈
ってください」私は彼が殺人かもしくは何か恐ろしい犯罪を犯したのかと思って尋ねました。「何
か特別に重荷となっている罪がありますか」ところが彼は答えました。「私の人生すべてが罪で
した。私は思い上がった独善的なパリサイ人でした。私のために祈ってください」
 彼は深い認罪の中にありました。人の力ではこの結果は導き出せません。しかし聖霊がなさ
るのです。午前2時頃、彼のたましいに光が差し込みました。彼は町の目抜き通りを行き来し
て神が彼に何をしてくださったかを語りました。そしてそれ以来最も活動的なクリスチャンにな
ったのです。
 求道者を扱うためのキリストご自身が語られた御言葉がもう4ヶ所あります。「まことに、まこ
とに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません」(ヨハネ
3:3)
 ルカ13章3節にはこうあります。「あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます」
 マタイの18章では、弟子たちが天の御国では誰が一番偉大かを知りたくてイエスのところへ
来た時に、主は小さい子どもを呼び寄せ彼らの真中に立たせて「まことに、あなたがたに告げ
ます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、はいれ
ません」と言われました。(18:3) もう一つの大切な「条件」がマタイの5章20節にあります。
「もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決
して天の御国に、はいれません」
 人は神の御国に入りたいと願うより先にそこにふさわしくされなければなりません。私は兄息
子と共に御国の外に居るよりはむしろ弟の放蕩息子と共にその中に入りたいと思います。兄
息子のような人にとって天国は地獄のようなものでしょう。弟の帰還を喜ぶことの出来なかった
兄は天の御国にふさわしいとは言えないでしょう。これは熟考すべき厳粛な問題です。幕が下
ろされると兄は外に残され、弟が中に入れられるのです。その兄に対しては別の状況で主が
語られた次の御言葉が当てはまるでしょう。「まことに、あなたがたに告げます。取税人や遊女
たちのほうが、あなたがたより先に神の国にはいっているのです」(マタイ21:31)



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