「同労者」第36号(2002年9月)                目次に戻る  表紙に戻る

わかふうふわかもん

 − 一緒にいること  −
仙台聖泉キリスト教会  山田 行

 我が家の子供達も(娘小学3年生、むすこ小学1年生)夏休みに入りました。学校がある時
は子供達とゆっくり会話をすることも少なく、遊んだりする時間もあまりとれません。この夏は
「一緒にいる」というのが私のテーマでした。
 特別なことはないのですが、案外「一緒にいる」ということは大変な事です。7月20日山形県
にあるホーリネス教団白鷹教会の特別集会に私達の教会の「いこいのみぎわアンサンブル」
が招かれ御用をさせてい頂きました。先方の集会場の都合でうちの子の他には仙台教会の子
供達が一人も行かないということで、娘は「行きたくないな。」と言っていましたが、主人も私も
参加するので「一緒に行こう」とずっとずっと言い続けました。子供達はしぶしぶついてきました
が当日ついてみると私達がリハーサルをしている間、いとこ(従兄弟)達もいますし、きれいな
自然があるので大喜びで楽しく遊んでいました。そして子供達は集会に共に参加し、私達の讃
美の御用を会堂のすみで静かに聞いていました。集会の最後の時、私は讃美のすばらしさで
胸がいっぱいになり、涙があふれて止まらなくなりました。神様への讃美は会堂いっぱいに響
き感謝があふれました。
 集会が終わると娘がそっと私に近づき「お母さん泣いていたね」と言いました。私が「お母さん
ね。もううれしくて、神様のすばらしさを讃美できて感動しちゃった。涙がいっぱい出ちゃった
よ。」と言うと娘は「お母さんの気持ち私わかるよ。」と言うのです。私は小さな娘の心にも神様
は働いていて下さって共に同じ神様にお会い出来たことに喜びでいっぱいになりました。
「ああ一緒に連れて来て良かった」と思いました。
 一緒にいることは、お互い面倒であったりうるさく思ったり、その言葉にカチンときたりして大
変なのですが、そのことに体当たりしなければわかり得ることもわからないのだと思いました。
 この夏、教会の集会、サマーキャンプ、野球、そして家族との交わりで同じ空気をすって同じ
物を見て聞いて喜んで感動して、時には子供達の言動にいやな思いになったりもしますが、そ
の表情、言葉、行動すべてにおいてどんどん成長していることがわかりました。そして一番大
切な神様の霊的な事、宗教教育、目に見えない部分も守られて成長していくことを日々祈って
います。子供は親のことをよく観ていますし、会話もよく聞いています。親が子供に感心を持つ
と同じ位に子供も親に感心を持っているかのように興味や疑問を持つようです。そしてもっとも
っと愛してほしい、かまってほしい、話をしてほしいと思っていることを知りました。
 世の中は聞きたくないこと見たくないこと知りたくないこと恐ろしいことで満ちています。それら
を家庭の中に平気でずかずかと持ち込んだりして子供達の心を振り回してはいけないと思い
ました。
 この時期親を通して神様の愛を知ってほしい、一日も早く救いをうけてほしいと切に祈る日々
です。

「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろ
う。」(詩篇133:1)
 

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