| 
          
           祈りの小部屋 
          「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたが
           
          たの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安 が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(ピリピ4:6〜7) 
          先月号に私たちは"祈りに召されている"ということを考えて、書物の一部分を引用しながら紹
           
          介していることをお話しました。今回は自分のことの中から一つご紹介しましょう。 
          私が救いの恵みに与ったその時(1962年5月12日の夕方)、導いて下さった小島彬夫先生
           
          は次の聖句を引用して祈ってくださいました。 
          「あなた(がた)がわたしを選んだのではありません。わたしがあなた(がた)を選び、あなた(が
           
          た)を任命したのです。それはあなた(がた)が行って実を結び、そのあなた(がた)の実が残る ためであり、また、あなた(がた)がわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなた (がた)にお与えになるためです。」(ヨハネ15:16〜17) 
           私はこのみことばを、神が私に語りかけて下さったみことばであると信じています。ですから
           
          冒頭のみことばのとおり、"あらゆる場合に"祈ることにしています。父なる神は「何でも」きいて 下さるのですから。 
           もうだいぶ前のことになりますが、私は食事中にものをぐっと噛んだら左の奥から二番目の
           
          歯が二つに割れてしまいました。それで神に恐る恐る申し上げました。「私は永くあなたにお仕 えしたいのです。そのためには丈夫でいなければなりません。丈夫でいるために歯は欠くこと ができません。どうか私の歯を大切に思っていだだけませんでしょうか?」 
          私が期待したことは、歯医者が上手に治療して・・割れた部分を接着したり補強のために被せ
           
          ものを歯に着せたりして・・くれて直ることでした。しかし期待ははずれ、診て貰った歯医者は 「歯茎の中が割れているものはだめです。抜くしかありません。」と宣告しました。「あなたは噛 む力が強すぎるんですよ。」とおまけをつけて。それでやむなくその歯は抜いてしまいました。 
          しかし、しばらくするとその部分の奥だけ親知らず歯が生えてきました。そして一番奥の歯が抜
           
          けた歯の場所に移動し、親しらず歯が一番奥の歯になりました。普通は、親知らず歯は役に 立ちませんから抜くしかありません。しかし私の歯は完全に奥歯の役をして何の支障もありま せん。歯はどれか抜けると全体にすきまができて早く悪くなりやすいのですが、私の歯は元通 り全部そろっており、隙間ができたりしてはいません。 
           期待したのとは違ったところを通りましたが、今は、願ったとおり歯がそろっています。結果を
           
          見たのは10年以上経ってです。皆さんはこれをどう理解されるでしょうか。たまたま親知らず 歯が生えたのでしょうか。私は神が私の歯を大切に思ってくださったと信じています。 
          私は「永くあなたにお仕えしたいので・・」と神に申し上げましたが、神はこういわれました。「白
           
          髪になるまで我汝を負わん。」(イザヤ46:3〜4文語訳) 救われた時は、「あなたが選んだのでは ない。わたしがあなたを選んだ・・」と言われましたが、この私の願いに対しても私が神のため に何かをするのではなく、神が私を負って下さるということです。祈りの本に"神に願い事ばか り言って神をあなたの奴隷にしてはいけません"という意味のことが書かれていましたが、神が わたくしにそう言われるのですから仕方ありません。 
           同様に、今結果を見ていない願い事についても、神は私の願い事を覚えていて下さると信じ
           
          ています。 
           私たちは「絶えずいのりなさい。」(テサロニケ5:17)と祈りに召されています。では何を祈るように
           
          召されているのでしょうか。それは「あらゆる場合に」、「事ごとに」(ピリピ4:6文語訳)祈るように 召されているのだと私は思っています。(文責:野澤) 
  |