「同労者」第37号(2002年10月)                目次に戻る    表紙に戻る

巻頭言
− いのちの年は多くなる − 
荒川聖泉キリスト教会   鈴木 義三

「わが子よ。聞け。私の言うことを受け入れよ。そうすれば、あなたのいのちの年は多くなる。
私は知恵の道をあなたに教え、正しい道筋にあなたを導いた。あなたが歩むとき、その歩みは
妨げられず、走るときにも、つまずくことはない。」(箴言 4:10〜12)


 聖書のソロモンの箴言は、人生のいましめや教訓の意味を含めた格言、金言の書だと言わ
れておりますが、世で節目と言われる還暦60才を過ぎた年齢となった私にとってこの聖句は
神様から与えられた御言葉と信じ、私の本年の標語聖句とさせていただいております。
 私は本年で救われて32年になります。私が荒川教会へ導かれた時は、聖泉連合発足間も
ない頃でありました。以来、教会生活を通して主の豊かな恵みを与えられて今日迄歩ませてい
ただきましたことを感謝しております。
 今日定年退職をして会社の仕事を離れ、過ぎ来し方のことやこれからのことを思い巡らすと
き、今までは考えることの少なかった年齢について、若干のこだわりを覚えます。歳を重ねつ
つ信仰も成長させていただきたく願いながら歩む者でありたいと思っています。
来し方を振り返りますれば、大半は会社勤めの中にありましたが、様々な環境の中で、社会人
としての信仰者のあり方を模索し続けていたように思います。時には会社の同僚を教会の集
会に誘ったことなどもありましたが、若い時の私が信仰者にふさわしい品性ある者であったか
は疑わしい限りでした。
 一つの節目の年齢になって思うとき、聖書にある「いのちの年は多くなる」とはどういうことな
のだろう、永遠の生命に繋がるということなのだろうか、その為には「私の言うことを受け入れ
よ」とあります。いずれにせよ、聖書の御言葉には生命があるのだから聖書を読み、祈りと静
思の時を持ち続けることが大切であるということです。
 「主を恐れることは知恵の初め」(箴言9:10)とありますように、神様は信仰に応じ、知恵も知識
も私たちに授けてくださるはずです。
 以前確か「老人力」という言葉がはやったことがあります(私の職場でも)。その老人力たるも
のは、様々な豊かな経験から出されるといいます。その一方では、なぐさめ言葉にも使われて
いたものです。
 ところで私の60代は言葉は悪いのですが、「まだガキの内」かも知れません。それならば年
齢を超えた「壮年力」なるものを信仰によって与えられて、主のよき証人として少しでも役立た
せていただきたいと願っています。
(2002年7月25日)
 



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