「同労者」第37号(2002年10月)              目次に戻る       表紙に戻る

ショートコラムねだ

 − コンダクター  −

 もう大分経ってしまったが、今年1月3日、小澤征爾指揮のウィーンフィル管弦楽団ニューイ
ヤーコンサート第2部(2日目)をたまたまテレビで見た。
 その中で放映された一幕であるが、小澤氏がインタビューに答えて次のようなことを述べてい
た。
"ウィーンフィル管弦楽団のメンバーはひとり一人が独立した音楽家であって自分の持ち場を
全うする。指揮者はそれらひとり一人がしなければならないことの方向付けをするのである。"
 彼はその中でこのようにも話していた。"他ではコンダクター(指揮者)が技術まで指導する必
要がある人のいる楽団もある。そのような楽団に招かれた場合には当然それなりの指導をす
る。"と。
 また彼の過去にはこんなこともあったという。ある楽団に招かれて指揮をしたところ、こんなこ
とを言われたという。"小澤。次はピッコロ、次は太鼓、次は・・とそんなにいちいち子供扱いの
指示しなくったって彼らは自分で入れる。おまえは指揮をしている間自分の音楽に集中しろ。"
と。

 教会の姿をこれに重ねて見た。
 まず教会員一人一人が練達した信仰の持ち主であること、その場合、あれをせよ、これせ
よ・・といちいち指図されなくても自立の信仰の歩みができる、そんな信者がいることである。そ
して、教会が全体として一つの働きをしようとするとき、神のみこころを指し示すことのできる指
揮者(牧師)がいて全体の方向づけをすることが必要である。
 その時教会の働きは素晴らしいハーモニーとなることであろう。
 だがしかし、教会は昨今教会の門をくぐったような人が必ずいるのであるから、全員が練達
の士であることは決してない。そのような人々のために、コンダクターは些細な指導も必要であ
る。そうして練達の士が増えて働きが拡大されていく。
 "私は練達の者であるから、いちいち指図してくれるな!"とコンダクターの方向付けと違った
ところに進んでいく人々がでてくると、教会はその働きができなくなりやがて崩壊する。
 以上は個々の教会についてであるが、聖泉連合全体にも当てはまる。聖泉連合が練達・自
立と神のみこころの方向付けが揃って存在する、そのような連合であることを願ってやまない。



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