「同労者」第37号(2002年10月)            目次に戻る     表紙に戻る

旅行記

― 聖地旅行見聞記 (19) ―

森聖泉キリスト教会  牧師 秋山 光雄

聖地旅行日程    1986年11月14日〜11月25日 (13日間)
日/曜日 出発地−到着地 主な訪問・見学地
22/土 エルサレム(モーリヤホテル) オリーブ山、シロアム池、鶏鳴教会、晩餐教会、
ゲッセマネ、羊飼の野、ゴードン園の墓


11月22日(土)    (前号のつづき)


 先月号(9月号)の記事にある 主の祈り教会
 各国語で書かれた主の祈り



 アラム語の主の祈り


主の祈り教会外観

 次いでゲッセマネの園を訊ねる。10本位のオリーブの巨木があった。その根の太さ、広がり
具合から見て大変な老木である事が分かり(イエス時代のものと言われる)威圧感と厳粛感を
感じさせられる。例によって河谷氏の聖書朗読とガイドがある。此処で読むゲッセマネの苦祷
は迫力と現臨感がある。みなそれぞれ写真を撮っていた。今はこの程度のオリーブの木しか
ないが昔は全山みなオリーブであったろうと言われる。オリーブの木は枝同士が当たると枯れ
るので充分間隔を開けて生えているとの事だ。


ゲッセマネのオリーブの古木

 次いですぐ隣の万国民の教会を訊ねる。世界各国からの献金によって建てられた教会で、こ
の名がつけられたそうだ。別名「苦悶の教会」とも言われ教会内に大きな平らな石があって、
それもイエス時代のもので、この岩で主は苦祷の血の汗を流されたと言われる。"血の汗した
たるゲッセマネの園も、恐れでゆかまし主と共に」の讃美を思い聖なる畏れを感じさせられた。
人はこのような圧倒される経験を必要とするのではなかろうか。あまりにも畏れを知らない傲
慢に人の心は満ちていないだろうか。宗教を儀式、神秘のベールに隠していけないが理知的、
神学的、言葉的すぎてしまうと行ける神の前に粛然とした畏敬を失う恐れがある。言葉に生き
るプロテスタントは注意しなければならない。カトリックやギリシャ正教の儀式主義を笑ってその
内実を失ったらプロテスタントは何もなくなるだろう。


アブシャロムの墓


ザカリヤの墓


  ユダヤ教徒の墓

  ビア・ドロローサは今日が安息日で、とても無理とのことで予定を変更してシロアムの池に
行く。途中、オリーブ山麓のアブサロムの墓、ザカリヤの墓を車窓から眺めてシロアムへ。此
処はダビデの町の一角にあり細長い用水の感じである。奥にトンネル式の水路が続いており、
それはギホンの泉につながっていると言われ、ヒゼキヤがアッシリヤの王セナケリブの攻撃を
受けたとき、水の確保の為に水道を掘った由緒あるものだそうだ。


シロアムの池

 次は鶏鳴教会。此処は大祭司カヤパ官邸の後。主が捕らえられ先ず此処に引いて来られ
た。地下に牢があり拷問所が残されていた。ペテロが主を否定した庭、其処に教会が建ってい
るのだあ。シオン山にある相当急な斜面に建っている教会だ。私たちは教会から下ってケデロ
ンの谷に通じる石段に腰を下ろして河谷氏の言葉に耳を傾けた。「この石段は主がとらえられ
て上り、カヤパの庭で虐待と辱めを受け、ペテロに背かれ再びピラトの法廷に連行される為に
血を流しつつ歩かれた石段で、イエス時代のものです。現状維持のため石の摩滅を防ぐ為に
今は通行禁止となっています。しばらくエルサレムの風に当たりながら黙想しましょう。……」と
結ばれた。彼もガイドしつつ感動に声も震えているようだった。静寂のひととき、婦人達の嗚咽
が一層感動を呼んだ。鶏鳴教会正面の壁画は否むペテロにまなざしをむける主イエスの赦し
の顔が刻まれて印象的であった。(この日の記つづく)


地下牢獄


イエス時代の石だたみ


鶏鳴教会内部


鶏鳴教会のモザイク画



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