「同労者」第38号(2002年11月)              目次に戻る      表紙に戻る

祈りの小部屋

 − サムエル・チャドウィック著「祈りの小径」から。  −


・・・私が六・七才の子供の時、ダベンポートさんという隣人に使いにやられたことがある。
朝の九時頃だった。ノックをして扉を押して中に入ったところが、暖炉の敷物の上に、開かれた
聖書の乗せられた椅子の前で、ダベンポート夫人がひざまづいて祈って居られた。私がそこに
居るのを気付きなさらなかったようである。一瞬、厳かな沈黙で私はその場に立ちつくし、静か
に外に出て扉を閉めた。
その朝から六十年以上も経っているけれども、その時以来、私はダベンポート夫人が神の聖
徒であると知っている。祈って居られたからである。それは神の地に墜ちざる証拠であり、この
世ですら、確かな証拠として受け入れる唯一の徴なのである。・・・





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