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           祈りの小部屋 
          ・・・私が六・七才の子供の時、ダベンポートさんという隣人に使いにやられたことがある。
           
          
          朝の九時頃だった。ノックをして扉を押して中に入ったところが、暖炉の敷物の上に、開かれた
           
          聖書の乗せられた椅子の前で、ダベンポート夫人がひざまづいて祈って居られた。私がそこに 居るのを気付きなさらなかったようである。一瞬、厳かな沈黙で私はその場に立ちつくし、静か に外に出て扉を閉めた。 
          その朝から六十年以上も経っているけれども、その時以来、私はダベンポート夫人が神の聖
           
          徒であると知っている。祈って居られたからである。それは神の地に墜ちざる証拠であり、この 世ですら、確かな証拠として受け入れる唯一の徴なのである。・・・ 
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