巻頭言 以下のようです。 信仰へ導かれる前に感動したみことばはコリント人への手紙第一13章でした。 20歳頃だったと思います。聖書研究会に出席していて読んだのだろうと思います。ウァーッす ごいことが書いてあると思いました。父が、神は愛なり(♪156)をミシンを踏みながら賛美して いたのが心に残っていたのかも知れません。その後、詩篇127篇の1節後半のみことば、文 語訳では、エホバ城をまもりたまふにあらずば衛士(ゑじ)のさめをるは徒労(むなしきこと)な り、でした。人間の限界、弱小さを教えられます。仕事は3か所変わりましたが、いつも自分か ら求めたというより、導かれたというのが実感です。退職後の仕事についても、退職前はどうし たらいいだろう、と不安でしたが、このことについても導いてくださり、自分がこれまでの経験を 生かし、努力すればできる仕事が与えられました。ずーっとなりたくない仕事がセールスマン、 医師、教師でした。今はそのうちの一つに携わっていることが不思議です。人と付き合うこと人 前に出ることすらできなかった自分ですが、主の力、恵みにより支えられております。 先日、礼拝で日頃生活の指針としているみことばからメッセージするようにと先生から言われ、 そのときのみことばが、ルカの福音書6章31節です。 『自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい』 どんなことをしてもらいたいか、いくつもありますが、自分を無視しないで認めてほしいと思う。 しかし自分はなかなか人を認めようとしない人間だと思います。高ぶっているのです。望むとお りすることができないとき、どうするか?求めなさい、とマタイ7章で主が語っておられます、そう 先生が指摘してくださいました。求めることによって主が力を与えてくださる。人がこうしてくれな い、と思う前に、その人も主の力を必要としている弱い人間なのだ、と思いなさい。そしてその 人のために祈りなさい。そうすれば主の恵みが与えられ、お互いが喜び合うことができるので すよ、と。 ディボーションでみことばに養われ、実践できるように祈り求めていきたいと思っています。
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