「同労者」第38号(2002年11月)                目次に戻る    表紙に戻る

巻頭言
− み こ と ば と 私 − 
中京聖泉キリスト教会   布施 恒明

 聖書のみことばは私自身にいのちを与えているものですが、そのうち3つだけ挙げるとすると
以下のようです。
 信仰へ導かれる前に感動したみことばはコリント人への手紙第一13章でした。
20歳頃だったと思います。聖書研究会に出席していて読んだのだろうと思います。ウァーッす
ごいことが書いてあると思いました。父が、神は愛なり(♪156)をミシンを踏みながら賛美して
いたのが心に残っていたのかも知れません。その後、詩篇127篇の1節後半のみことば、文
語訳では、エホバ城をまもりたまふにあらずば衛士(ゑじ)のさめをるは徒労(むなしきこと)な
り、でした。人間の限界、弱小さを教えられます。仕事は3か所変わりましたが、いつも自分か
ら求めたというより、導かれたというのが実感です。退職後の仕事についても、退職前はどうし
たらいいだろう、と不安でしたが、このことについても導いてくださり、自分がこれまでの経験を
生かし、努力すればできる仕事が与えられました。ずーっとなりたくない仕事がセールスマン、
医師、教師でした。今はそのうちの一つに携わっていることが不思議です。人と付き合うこと人
前に出ることすらできなかった自分ですが、主の力、恵みにより支えられております。
先日、礼拝で日頃生活の指針としているみことばからメッセージするようにと先生から言われ、
そのときのみことばが、ルカの福音書6章31節です。
『自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい』
どんなことをしてもらいたいか、いくつもありますが、自分を無視しないで認めてほしいと思う。
しかし自分はなかなか人を認めようとしない人間だと思います。高ぶっているのです。望むとお
りすることができないとき、どうするか?求めなさい、とマタイ7章で主が語っておられます、そう
先生が指摘してくださいました。求めることによって主が力を与えてくださる。人がこうしてくれな
い、と思う前に、その人も主の力を必要としている弱い人間なのだ、と思いなさい。そしてその
人のために祈りなさい。そうすれば主の恵みが与えられ、お互いが喜び合うことができるので
すよ、と。
 ディボーションでみことばに養われ、実践できるように祈り求めていきたいと思っています。
 



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