「同労者」第38号(2002年11月)                  目次に戻る    表紙に戻る

論  説
 ― 「人の愛」を信じよう ―

「見よ。わたしは、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。
彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろい
でこの地を打ち滅ぼさないためだ。」(マラキ4:5〜6)
「この人は預言者イザヤによって、『荒野で叫ぶ者の声がする。「主の道を用意し、主の通られ
る道をまっすぐにせよ。」』と言われたその人である。」(マタイ3:3)


 来月、12月はクリスマス、イエス・キリストの来られたことに教会行事も私たちの思いも集中
します。今月11月はイエスのおいでになる備えをしたバプテスマのヨハネの働きに目を留めた
いと思います。
 ヨハネの働きは、@主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにすること=父の心を子に
向けさせ、子の心を父に向けさせること、Aイエスを指し示すこと、でした。
 主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにするとはどういうことなのでしょうか。新約聖書
のみことばを考えてみると、まず私たちの間に真の認罪と悔い改めがもたらされることである
ことがわかります。上のみことばは、それと同時に隣人への心遣いが行き渡ることであること
をも指し示しています。人間に十分行き届いた恵みが与えられたのはイエス・キリストの贖いの
み業が完成し、聖霊がおいでになってからでした。バプテスマのヨハネの段階ではその萌芽と
もいうべきものが人々の心にもたらされ、それがイエスの教えを「真」として受け入れる道となっ
たものだと判断されます。
 さて、皆さん。あなたは親の愛を信じますか?子の愛を信じますか?牧師の愛を信じます
か?教会の兄弟姉妹の愛を信じますか?神の愛は人を通してあなたに注がれます。それはこ
んなところに現れてきます。誰かがあなたのことを知っていたとします。その時その方の愛を信
じましょう。その方があなたのために主に取りなし、主がその祈りを聞いてあなたに助けを与え
て下さることを信じましょう。ミリアムはモーセが祈った時、癒されました。(民数記12:13) ヨブ
の友人たちはヨブが祈った時赦されました。神は私たちが隣人である兄弟たちのために祈る
祈りをお聞き届けになります。
 愛のない人は兄弟姉妹のため、隣人のために心労しません。隣人のために心砕く人は、そ
の人のために祈り、折りに適った助けをしようとします。それが適切な助けであることが望まし
いのですが、時には痒いところに手が届くとはいかない場合もあります。愛することは煩わしい
ことですが、愛されることも煩わしいことなのです。愛はその煩わしさを忍ぶことをさせます。
 主をお迎えする待望の心をもって"主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにするために
"私たち自らがまず愛を追い求めましょう。そして隣人の愛をも信じようではありませんか。
 


トップへ
トップへ
戻る
戻る