「同労者」第39号(2002年12月)                  目次に戻る    表紙に戻る

論  説
 ― 御降誕と新しい讃美 ―

「ハレルヤ。主に新しい歌を歌え。聖徒の集まりで主への賛美を。・・シオンの子らは、おのれ
の王にあって楽しめ。踊りをもって、御名を賛美せよ。・・主にほめ歌を歌え。主は、ご自分の
民を愛し、救いをもって貧しい者を飾られる。」(詩篇149:1〜4) 
「彼らは、御座の前と、四つの生き物および長老たちの前とで、新しい歌を歌った。しかし地上
から贖われた十四万四千人のほかには、だれもこの歌を学ぶことができなかった。」(黙示14:
3)


 旧約の民にとって新しい讃美は、文字通り新しい歌、新しい調べを作ることであったことでし
ょう。けれども新約の幕があげられたとき、この「新しい」ということばの意味が明らかにされま
した。それはイエス・キリストの救いのお働きすなわち「新約」に関係していました。
 ヨセフに現れた主のみ使いはマリヤから生まれるお方についてこう言いました。「この方こ
そ、ご自分の民をその罪から救って下さる方です。」(マタイ1:21)
 イエス・キリストがお生まれになった夜、み使いは羊飼いたちに現れてこう言いました。「きょう
ダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。・・」(ルカ2:11)そしてその
「御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を讃美」(ルカ2:13)しました。羊飼いたちは
急いでマリヤとヨセフと飼葉おけに寝ておられるみどりごイエスを捜し当て、「見聞きしたこと
が、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って」(ルカ2:20)行きまし
た。それは神がその救いの実現の業をイエスのご降誕によって始められたためでした。
 イエスのご在世中にも、民が神を崇めて讃美したことがありました。バルテマイともう一人の
盲人の目を開けられたのを見て「これを見て民はみな神を賛美した」(ルカ18:43)のでした。しゅ
ろの聖日に「イエスがすでにオリーブ山のふもとに近づかれたとき、弟子たちの群れはみな、
自分たちの見たすべての力あるわざのことで、喜んで大声に神を賛美し」(ルカ19:37)ました。最
後の晩餐の夜、イエスの説教が済んだ後弟子たちは「賛美の歌を歌ってから、みなオリーブ山
へ出かけて行った。」(マタイ26:30)のでした。
 使徒2:47、3:8、3:9、10:46、13:48、16:25、・・等々をご覧下さい。聖霊がおいでになり、讃美は
神の民にとってますます欠かせないものとなりました。パウロはこう勧めます。「詩と賛美と霊
の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。」(エペソ5:19)
 冒頭の黙示録のみことばによって、新しい讃美の秘密が解き明かされています。「新しい讃
美」とは、「子羊の歌」であり、「贖いの歌」すなわち私たちの罪を十字架において贖い、罪の赦
しによるみ救いを讃える歌なのです。クリスマスに当たり、その新しい讃美をしようではありま
せんか。


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