「同労者」第39号(2002年12月)                目次に戻る  表紙に戻る

わかふうふわかもん

 − 小 さ な 命 −
仙台聖泉キリスト教会  山田 行

 私が高校2年生の時、クラブ活動もしていたし、友人もいて楽しく生活しているようでしたがな
ぜか"さみしい""何もかもいやになる"という思いにかられたり、不安定な心の時がありました。
 私は父に"犬を飼いたい"と願ったのです。父は一言も"だめ"とか"あなたがきちんと世話を
するなら"などなしに「いくら小遣いを持っているか」と「2万円しかないんだけれど」と私。
 その時子犬がいくらするかも、何の種類の犬が良いかなどぜんぜん知らずに「よしペットショ
ップへ行こう」と父は私を連れていってくれました。父も母にこのことを伝えたら絶対に"だめ"と
いわれるのを知っていたので二人でこっそり家を出たのです。
 古びた小さなペットショップに子犬が何匹もいましたが、その値段は最低でも5万円でした。
私は買えないとあきらめようとしたら、お店で処分になりそうな雑種の子犬なら2万円で良いと
言いました。奥の汚いおりの中にその子犬がいました。もう、すぐ、「この子でいいよ。」と私は
抱きしめました。そして父は1万円分のえさを買ってくれて帰りました。
 家につくなり母の猛反対にあいました。しかし父は何も言わないのです。私は「1週間だけ飼
ったら店に返してきますから」と言ってその犬との生活が始まりました。兄も弟もとてもかわい
がってくれるようになりました。その犬がきてからは家族が同じ話題ができて楽しかったことを
思い出します。私も散歩へ連れて行くため5時には家に帰り、高校時代門限をやぶることなく
生活できたのだと思います。
 月日は流れ、私も救いを受けてアメリカへ留学したり、結婚して奥中山へ行ったり、仙台で二
人の子供を出産したり、いつも私のそばにその子犬はいたのです。
 ついに弟の結婚、そして、その犬は死にました。
 私の生涯の大切な時を共に生きた犬なので今だに会いたくなります。そして山本(光明)の家
族が集まるとその犬のことが今だに話されます。神様は私にこの犬をそばにおいて下さったと
思いました。
 家族がバラバラにならないように、家庭から心が離れないように、小さなものを愛すること、
心配すること、たくさんのことを教えられました。そして両親は私の様子を見つめながら、祈りな
がら、家族が神につかえ続けられるようにこの犬を飼ってくれたのです。
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒16:31)

 

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