「同労者」第40号(2003年1月)                 目次に戻る  表紙に戻る 

Q&Aルーム

 信仰生活のこと、教理上の疑問など様々なことについて、誰かに聞いてみたいことがおきてく
ると思います。教会の先生に伺うことは勿論一番ですが、それを独り占めしないで、すこし公開
してください。それを皆で考えると、きっと皆さんにとって益になると思います。
質問の送付先は巻末にあります。

 先月の質問の回答例(作成者:野澤)
 先月の質問は、
「イエス・キリストは神としての礼拝を受けておられること」をあげイエスは神であることを示して
下さい。」
でした。引き続きR.A.トーレイの「聖書の教え」からの引用をさせていただきます。

<キリストの神性(つづき)>
6.イエス・キリストは神としての礼拝を受けておられること
(1)イエス・キリストは、天使や使徒たちでさえも、恐怖を持って拒絶した礼拝を、何の躊躇もなく
お受けになった。
 以下の聖書箇所を参照。
「すると、イエスが彼女たちに出会って、「おはよう。」と言われた。彼女たちは近寄って御足を
抱いてイエスを拝んだ。」(マタイ28:9)
「彼らは(イエスを拝し)、非常な喜びを抱いてエルサレムに帰り、いつも宮にいて神をほめたた
えていた。」(ルカ24:52〜53)
「そこで、舟の中にいた者たちは、イエスを拝んで、『確かにあなたは神の子です。』と言った。」
(マタイ14:33) 
 比較
「ペテロが着くと、コルネリオは出迎えて、彼の足もとにひれ伏して拝んだ。 するとペテロは彼
を起こして、『お立ちなさい。私もひとりの人間です。』と言った。」(使徒の働き10:25〜26)
「これらのことを聞き、また見たのは私ヨハネである。私が聞き、また見たとき、それらのことを
示してくれた御使いの足もとに、ひれ伏して拝もうとした。すると、彼は私に言った。『やめなさ
い。私は、あなたや、あなたの兄弟である預言者たちや、この書のことばを堅く守る人々と同じ
しもべです。神を拝みなさい。』」(黙示22:9)
「今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を
見せて、言った。『もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。』 イエ
スは言われた。『「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ。』と書
いてある。」』」
(2)祈りはイエス・キリストにも捧げられるべきである。
 以下の聖書箇所でイエス・キリストに祈りが捧げられていることが示されている。
「コリントにある神の教会へ。すなわち、私たちの主イエス・キリストの御名を、至る所で呼び求
めているすべての人々とともに、聖徒として召され、キリスト・イエスにあって聖なるものとされ
た方々へ。主は私たちの主であるとともに、そのすべての人々の主です。」(コリントT1:2)
「このことについては、これを私から去らせてくださるようにと、三度も主に願いました。しかし、
主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全
に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうため
に、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」(コリントU12:8〜9)
「うして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。『主イエス
よ。私の霊をお受けください。』そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。『主よ。この罪を彼ら
に負わせないでください。』こう言って、眠りについた。」(使徒7:59〜60)
(3)父なる神の御心は、全人類が神の御子に対して、自分に与えると同様な神的栄誉を与える
ようになるということである。
「そうすれば王は、あなたの美を慕おう。彼はあなたの夫であるから、彼の前にひれ伏せ。」(詩
篇45:11)
「それは、すべての者が、父を敬うように子を敬うためです。子を敬わない者は、子を遣わした
父をも敬いません。」(ヨハネ5:23)
 比較
「彼が巻き物を受け取ったとき、四つの生き物と二十四人の長老は、おのおの、立琴と、香の
いっぱいはいった金の鉢とを持って、小羊の前にひれ伏した。この香は聖徒たちの祈りであ
る。彼らは、新しい歌を歌って言った。『あなたは、巻き物を受け取って、その封印を解くのに
ふさわしい方です。あなたは、ほふられて、その血により、あらゆる部族、国語、民族、国民の
中から、神のために人々を贖い、・・』
・・
彼らは大声で言った。『ほふられた小羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美
を受けるにふさわしい方です。』また私は、天と地と、地の下と、海の上のあらゆる造られたも
の、およびその中にある生き物がこう言うのを聞いた。『御座にすわる方と、小羊とに、賛美と
誉れと栄光と力が永遠にあるように。』」(黙示5:8、9、12、13)
(4)神の子イエスは全人類と天使らとによって、神としての礼拝を受けるべきお方である。
「さらに、長子をこの世界にお送りになるとき、こう言われました。『神の御使いはみな、彼を拝
め。』」(ヘブル1:6)
「それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべて
が、ひざをかがめ、すべての口が、『イエス・キリストは主である。』と告白して、父なる神がほめ
たたえられるためです。」(ピリピ2:10〜11)
比較
「告げよ。証拠を出せ。共に相談せよ。だれが、これを昔から聞かせ、以前からこれを告げた
のか。わたし、主ではなかったか。わたしのほかに神はいない。正義の神、救い主、わたしを
おいてほかにはいない。地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神で
ある。ほかにはいない。わたしは自分にかけて誓った。わたしの口から出ることばは正しく、取
り消すことはできない。すべてのひざはわたしに向かってかがみ、すべての舌は誓い、・・」(イザ
ヤ45:21〜23)・・ヘブル人への手紙ではイエスに対して凡てのひざがかがめられるとあるのに対
し、ここイザヤ書では凡ての膝は主(エホバ)に対してかがめられるべきであると主張されてい
る。

総括:父なる神が礼拝されると同じ意味において、イエス・キリストは天使や人間によって礼拝
されるべきお方である。

<イエス・キリストは神であられることは聖書の主張であることに関する要約>
 以下の諸点によって、イエス・キリストは神である。
1.イエスに対して神の名称が用いられている。
2.すべての明白な神の属性が彼のうちに見いだされている。
3.種々の神的職務が彼のうちに見いだされている。
4.旧約聖書で明らかに主エホバ神を主題として語られていることが、新約聖書においてはイ
エス・キリストに相当させられている。
5.イエス・キリストの御名と父なる神の御名とが並び称せられている。(それは有限な存在者
の名と神の名とを併称することのできないような仕方によってであった。)
6.イエス・キリストは父なる神と同様に礼拝されるべきお方である。


今月の質問
聖書は、「イエス・キリストは真の人間であられた」と主張していることを示して下さい。



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