「同労者」第40号(2003年1月)                  目次に戻る    表紙に戻る

論  説
 ― 神の分と人間の分をわきまえよう ―

 イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神であ
る主は、唯一の主である。心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神で
ある主を愛せよ。』・・」(マルコ12:29〜30) 


 神が与えて下さるものと私たち人間が自分で行うものとの区別をすること、それが成功ある
信仰者たりうるか否かを分ける大切な鍵です。
 冒頭のみことばは、現代風に言い換えれば「"知情意"を尽くして神を愛しなさい。」ということ
になります。
 たとえば自分が何か悪いことをしたつまり罪を犯したと分かっているが、それがいわゆる"ピ
ンとこない"状態であって、涙とともに悔い改めるなどは全然遠いことのように思える場合があ
ります。「知性」を尽くすとは、そのような場合に自分のその"分かっている"ことに従って行動す
ることです。つまり知性を尽くして神を愛するとは、その神がお嫌いになる罪を知性に従って悔
い改め、神との平和に生きることに他なりません。罪以外のことにも同様です。
 「感情」を尽くしてというと、ちょっと難しく感じるかも知れません。感情はどちらかと言えば従
動的に起きる、つまり嬉しい状況、悲しい状況、素晴らしいできごとなどに遭遇すると心が動か
されて泣いたり笑ったり感情が働くからです。このみことばは命令できる内容を述べているの
ですからそれに従って行動できるような内容がその意図であると考えてよいのです。つまり"情
を尽くして"と言われていることは、「心馳せ(こころばせ)」を問題にしていると考えるべきなの
です。神を愛する心馳せ、それを尽くせと命じられているのです。
 「力を尽くして」神を愛するようにとの命令は、腕力を尽くせというのではありません。この世に
属する権力を尽くせというのでもありません。財力すなわち持っている富・お金を尽くせというの
でもありません。学問や知識を尽くせというのでもありません。それらではなくあなたの「意志を
働かせなさい。」と命じられているのです。「意志」は人間に神から与えられた「権威」です。
 意志を働かせる必要は、殊に「信仰」に関わっています。「神様、これこれを信じることができ
ますように。」あるいは「信じさせてください。」という祈りを頻繁に耳にします。しかし、信じること
は人間がすることなのです。次のイエスのことばを考えてみてください。「神を信じ、またわたし
(イエス)を信じなさい。」(ヨハネ14:1)「悔い改めて福音を信じなさい。」(マルコ1:15)これは命令です
から意志に関します。
 私たちは神に「これこれの罪を犯しました」、「悔い改めます」、「イエスを信じます」、「従いま
す」等々と言う者であらさせて頂こうではありませんか。それが"私たちのなす分"なのです。そ
の時神は、私たちを「救い」「潔め」て"神のなされる分"を果たして下さいます。



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