11月22日(土) (前号のつづき)
ここを出てドーム寺院に向かう。そこにも一つの検問所があったが問題なく通過。黄金のドー
ムでは全員靴を脱ぎカメラは一切不可との事で身一つで入る。堂内は広く高く天井に張られた 装飾の美しさ、精巧さは息を飲む。これがAD700年頃の建造というがどのようにして建てられ たのか古代人の力に驚嘆の他はない。通路は赤の絨毯が敷かれ柵に囲まれた中央には直 径13メートルの巨大な岩が置かれている。この岩こそアブラハムがイサクを捧げた奉献の岩 と言われる。(回教徒は捧げられたのはイサクではなくイシマエルであると信じている由)またマ ホメットが此処から昇天したと伝えられ回教徒の重要な聖地になっているとの事である。とにか く13世紀も前の建造と聞いて驚き以外の何ものもない。
ここを出ていよいよビア・ドロローサの跡を辿る。最初はアントニア城塞すなわちピラトの法廷
である。狭い通りに橋は片月形にビルとビルの間に掛かっている。最初はアーチ形だったのを エルサレム攻防戦の迷路にするため半分に仕切られ狭めたと言われる。主の苦難の足跡を 記していた。この日はイスラエルへの抗議とかでアラブ人の店は戸を固く閉ざしていた。普通な ら大変な混みようである此の道は人通りが少ない。こんなことは珍しいそうだ。ベンハーの映 画で誤って屋根から瓦を落とした場面があるがさながらそんな感じの建物が両側に建ってい る。狭いアーケードの道には何処に据えられているのかコーラン朗読の馬鹿でかいスピーカー で耳を覆いたくなるほどである。黙々と歩き聖墳墓教会前に到着。石神さんの万歩計によると アントニア城塞からの道のりは約1000歩だそうだ(500メートル位か)。此処は主の十字架、 カルバリの場所である。教会の右側がカトリックの祭壇で、主の十字架が立てられた所。その やや左下には主が十字架から下ろされた所と称し等身大の巨石が置かれている。主が葬られ た墓とされるのは更に左側の方でアルメニヤ教会がある。この聖墳墓教会はAD400年頃コ ンスタンチン帝の母ヘレナ大后によって建てられたのだそうだ。
(この日の記つづく)
|