「同労者」第41号(2003年2月)              目次に戻る      表紙に戻る

あかし

 私 の 進 路 と 救 い
仙台聖泉キリスト教会   石井 勝

「イエスは手を伸ばして、彼にさわり、『わたしの心だ。きよくなれ。』と言われた。すると、すぐ彼
のらい病はきよめられた。」(マタイ8:3)

 1月12日、僕はこれまでの罪を告白し、十字架を信じ、救いを受けることが出来ました。
このことに導かれるきっかけとして、進路の問題がありました。当初、東京の大学への進学を
志望していました。しかし、それは東京で勉強するというよりもそこで生活するということへの思
いが強くありました。そのことを(救われる)前日、嘉納先生へ相談に行きました。そこで、抜け
た部分の責任を誰かが代わりに負わなければいけないこと、大学の四年間が教会生活の中
で非常に大切な時間であるということを言われ、最後に地元か東京か、二者択一を迫られまし
た。そのときは、納得して、地元に残ることを選びました。しかし、その後、心が晴れない自分、
つまり、東京進学を諦めきれない自分がいました。
そのような心の葛藤の中でその日を過ごしていましたが、夜遅く盡子先生からメールが届き、
救いのお勧めを頂きました。突然のことで非常に驚きましたが、不思議と葛藤が消え、また、
そこから多くの祈りが積まれていること、この問題は自分ひとりのものだけで無いと感じまし
た。
翌日、礼拝後、先生の所へ行き今までの罪を告白し、十字架を信じ、新たなスタートを切ること
ができました。その後、両親にいままでのわがままな心を謝り、報告しました。
 自分の思うままに、道を行こうとしていたものですが、ここで、もう一度、神様に従う道を選ぶ
ことが出来て感謝しています。今年は、受験生です。まだ、多くのことが足りないのですが、こ
のことを糧とし、従い取り組んでいきたいと思います。

(仙台教会2003年1月19日週報に掲載された「信仰の目」から転載させていただきました。 
編集委員)


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