「同労者」第41号(2003年2月)                  目次に戻る    表紙に戻る

論  説
 ― 総会六部委員会の活動を考えよう ―


 聖泉連合の各教会がそれぞれこの一年の御言葉を与えられ、よき進発をすることが許され
ました。まことに感謝なことであります。
 月が変わり3月を迎えますと、月末には連合のこの一年の進路を決める重要な総会がやっ
てきます。例年のことですが、総会の一部として信徒が中心的な役割を果たすことをめざして、
六部委員会が開催されます。
各委員会の2002年度の活動は満足のゆくものであったでしょうか。反省点はなんでしょうか。
何をどう取り組んだら主のご期待に添う働きができるのでしょうか。よく"あたためる"という表
現が使われますが、当面している事態について心に納めて考えていると、それに対する理解
が深まり、対応するよい知恵も浮かんでくるものです。例年特定の委員会に出席している方々
はもとより、総会に出席していない方々もお考え頂きたいと思います。そして総会の代議員に
託して意見を反映させるとよいのです。
 何かのことについて"私の居場所がない"ということがあります。極端な場合、家庭の中にお
いてすらそうであることがあります。その原因はその組織・・家庭であったり、会社であったり、
何かのサークル活動であったり、内容は様々ですが・・その活動に加わる"働き"ができている
かどうかに掛かっています。もちろん、場合によっては働きができないゆえに、それからはずれ
なければならないこともあります。しかし、総会の六部委員会の働きは、"何か私にできること
がありますか"といって参加してくださる方々に、働き場がないということは決してありません。
殊に本誌を発行している「信徒」委員会は、もともとそのような信徒の積極的な活動を目的とし
ている委員会ですから、皆さんの参加を期待しているのです。
 どの委員会を取り上げても、"もうやることがない"などといえる状況では決してありません。
現状でも恵みが失われているわけでは決してありませんが、連合全体が集まる聖会や諸集会
に、神のご臨在を頂き、参加した人々が更に豊かに恵みをいただけるようにするためにはどう
すればよいのでしょうか? これは「集会」の問題ですが、同様の問いかけは他の委員会にも
当てはまります。秋山先生の歌に「・・司式のわれは喪主をも兼ねぬ」とありました。身寄りの
無いおばあさん、そのような方々は今後も出てくるでしょう。「厚生」委員会と背後にある連合全
体の信徒は、そのような事態にどう対処するのでしょうか。
まず必要なことは、組織や規定を決めることではなく、「あなた自身のように、あなたの隣人を
愛しなさい。」と言われた主のご命令を全うすることではありませんか。




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