「同労者」第42号(2003年3月)              目次に戻る      表紙に戻る

あかし

 義母のこと
仙台聖泉キリスト教会   茂永 清子

 2月3日10時10分、母は天に召されて参りました。
 母は8人兄弟でしたが、皆すでに亡くなり、最後の一人となりました。子供は息子一人で、嫁
となった私を娘のように扱ってくれました。ただ、私が嫁に来る前、メニエル氏病という病にか
かった事があり、体の加減の善し悪しのある人で、最初の孫が生まれた時、「孫が幼稚園に行
くまで丈夫でいられるだろうか」と言っておりました。その母が92才の生涯を生き抜く事ができ
ました。殊に夫を天に送ってから、息子や孫達とともにイエス様の十字架を信じて生きる道を
選び、洗礼を受けて80才近くになって、信仰の生涯へと入らせて頂きました。
 そして何年間か家族と共に毎週日曜日、教会に通い続けました。それから長年住み慣れた
越路(こえじ)から袋原(ふくろばら)に越してきて、6年後息子を天に送り、それでもなお家族の
支えとなって元気にしておりましたが、だんだん足腰が弱くなって、自宅での寝たきりの生活と
なり、教会にもすでに通うことが出来なくなっていました。
 それから毎月、教会の牧師先生方が母を訪問してくださり、そしてお話をしたりお祈りをして
いただきました。それは天に召される直前まで続きました。この間、10年あまりになるでしょう
か、又、教会の集会のあるたびごとに兄弟姉妹方が母や私たち家族のために祈って下さり、
励ましを受け力づけられました。
 母が家で寝たきりの生活となってから5年あまりになりましたけれど、この間介護センターの
方々に大変お世話になり、私も母と二人三脚のようにして介護してくることが出来ました。
 ただ、寝たきりの生活になって間もなく、母は自分が歩けなくなったことを嘆いておりました
が、孫に「ばあちゃん、今は辛いだろうけれど天国に行ったら歩けない足で歩けるようになるか
らね!」と励まされ、それから母は神様の御手に自分を明け渡し、委ねていくうちに笑顔も見ら
れるようになりました。
 そして孫である進が和子さんと結婚して、ひ孫の頼子が生まれ、この事がどんなにか母の心
をなごませてくれた事でしょう。その後ひ孫が与えられたことの感謝の祈りと讃美が緊急入院
するまで毎日続けられたのです。
 入院して20日あまりで、母は天に召されました。母の信仰と教会の先生方はじめ兄弟姉妹
方、家族の祈りに神様が応えて下さったことを信じ、心から感謝の気持ちで一杯です。これま
で親戚の方々をはじめ母や私たち家族にかかわって下さった多くの方々に厚く御礼申し上げ
ます。



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