ると思います。教会の先生に伺うことは勿論一番ですが、それを独り占めしないで、すこし公開 してください。それを皆で考えると、きっと皆さんにとって益になると思います。 質問の送付先は巻末にあります。 先月の質問の回答例(作成者:野澤) 先月の質問は、 「イエス・キリストは真の人間であられた」と主張していることを、イエスがご在世中は人間として の制限の中に生きられたことによって示して下さい。」 でした。引き続きR.A.トーレイの「聖書の教え」からの引用をさせていただきます。 <キリストの人性> 4.イエス・キリストは人間としての制限に生きられた 4.1 肉体的制限 (1)イエス・キリストは、人間のように疲労を感じられた。 「そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れで、井戸のかたわらに腰をおろしておら れた。」(ヨハネ4:6) 比較:「主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知 は測り知れない。」(イザヤ40:28) (2)イエスは眠られた。 「見よ、湖に大暴風が起こって、舟は大波をかぶった。ところが、イエスは眠っておられた。」(マ タイ8:24) 比較:「主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。見よ。イスラ エルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。」(詩篇121:3〜4) (3)イエス・キリスト飢えを感じられた。 「翌朝、イエスは都に帰る途中、空腹を覚えられた。」(マタイ21:18) (4)イエスは渇きを覚えられた。 「この後、イエスは、すべてのことが完了したのを知って、聖書が成就するために、『わたしは 渇く。』と言われた。」(ヨハネ19:28) (5)イエス・キリストは肉体的苦痛にも悩まれた。 「イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。」(ルカ 22:44) (6)イエスは死に給うた。 「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。 キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、・・」(コリントT15:3) 4.2知的道徳的制限 (1)彼は肉体的においても知識においても人間と等しく成長された。 「イエスはますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された。」(ルカ2:52) (2)イエス・キリストの知識は制限されていた。(イエスには知らないことがあった。) 「葉の茂ったいちじくの木が遠くに見えたので、それに何かありはしないかと見に行かれたが、 そこに来ると、葉のほかは何もないのに気づかれた。いちじくのなる季節ではなかったからで ある。」(マルコ11:13) 「ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りま せん。ただ父だけが知っておられます。」(マルコ13:32) (3)イエス・キリストは誘惑を受けらた。(人間としての道徳性に生きることをされた。) 「たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでした が、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。」(ヘブル4:15) 「主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおでき になるのです。」(ヘブル2:18) 4.3 能力の制限 (1) イエス・キリストは祈られた。 「さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。」 (マルコ1:35) 「そこで、イエスは、人々が自分を王とするために、むりやりに連れて行こうとしているのを知っ て、ただひとり、また山に退かれた。」(ヨハネ6:15)「群衆を帰したあとで、祈るために、ひとりで山 に登られた。夕方になったが、まだそこに、ひとりでおられた。」(マタイ14:23) 「キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大 きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。」 (ヘブル5:7) (2) イエス・キリストは自らの生来の神性によらないで、聖霊の油注ぎによってご自身の神とし てのみ業のための能力を受け給うた。彼は力について他の人々と同じ条件に従われた。 「それは、ナザレのイエスのことです。神はこの方に聖霊と力を注がれました。このイエスは、 神がともにおられたので、巡り歩いて良いわざをなし、また悪魔に制せられているすべての者 をいやされました。」(使徒10:38) (3)イエス・キリストは、ご自身の謙遜な地上生涯の間、制限された範囲の能力を用いられた。 「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行な い、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。わたしが父のもとに行くからです。」(ヨハネ14: 12) イエスが人間であられることの証拠として、トーレイは他に 4.イエスは父なる神に人間としての立場をとられた 5.すべてのことにおいて人間的であられた ことをあげていますが、詳細な紹介は省略します。学びたい方は原本の「聖書の教え」を買っ て読んで下さい。 今月の質問 イエス・キリストの品性について説明してください。
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