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          「すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、だ
           
          れも主を見ることができません。」(ヘブル12:14〜16) 
           1.悪魔とは何か
           
          
           1.1 聖書が示す"世界"の構成
           
          
           私たちが目で見ているこの物質の世界の他に、霊の世界があることを聖書は明確に示して
           
          います。物質の世界を自然界、霊の世界を霊界と呼ぶことにします。 
          (1) 以下のみことばはこの霊の世界に属するのは、神、天使、悪魔と悪霊たち、そして人間で
           
          ある事を示しています。そして人間は自然界と霊界にまたがる存在なのです。 
          ・神は霊である
           
          
          「初めに、神が天と地を創造した。地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあ
           
          り、神の霊は水の上を動いていた。」(創世記1:1〜2) 
          「神は霊です・・」(ヨハネ4:24)
           
          
          ・天使は霊である
           
          
          「ケルビムが立ち止まると、輪も立ち止まり、ケルビムが上ると、輪もいっしょに上った。それ
           
          は、生きものの霊が輪の中にあったからである。」(エゼキエル書10:17) 
          ・・ケルビムという天使の例であって天使は霊であることを示しています。
           
          
          ・悪魔は霊である
           
          
          「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中
           
          にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働い ている霊に従って、歩んでいました。」(エペソ2:1〜2) 
          「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、ま
           
          た、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」(エペソ6:12) 
          ・人間は霊であり、同時にたましいと体をもっている
           
          
          「平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリスト
           
          の来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守 られますように。」(テサロニケT5:23) 
           自然界には動植物(いのちをもっているものすべてという意味で)と無生物が存在していま
           
          す。 
           新生の恵みに与かっていない人間が思考するすべてのことは自然界に属します。かれは霊
           
          界においては死んだ者だからです。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生ま れなければ、神の国を見ることはできません。」(ヨハネ3:3)とイエス・キリストが言われた通りで す。「新生」は霊界のいのちを与えられることを意味しています。 
          (2) 天使と悪霊は多数存在する
           
          
          「すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言っ
           
          た。・・」(ルカ2:13) 
          「私たちの格闘は・・天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」(エペソ6:12)
           
          
          「だがしかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。・・」(ルカ10:
           
          20) 
          (3) "霊"なる存在者が「人格」である
           
          
          「人格」ということばは聖書には出てきません。これは哲学の用語なのでしょうが、その意味し
           
          ていることを聖書の記事と比較してみると、聖書が「霊」と呼ぶものに相当していることが判りま す。 
          「神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」(ヨハネ4:
           
          24) 
          (4) 悪魔も"人格"である
           
          
          「ある日、神の子らが主の前に来て立ったとき、サタンも来てその中にいた。主はサタンに仰せ
           
          られた。『おまえはどこから来たのか。』サタンは主に答えて言った。『地を行き巡り、そこを歩 き回って来ました。』主はサタンに仰せられた。『おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。 彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいないのだ が。』サタンは主に答えて言った。『ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。あなたは彼と、その 家とそのすべての持ち物との回りに、垣を巡らしたではありませんか。あなたが彼の手のわざ を祝福されたので、彼の家畜は地にふえ広がっています。しかし、あなたの手を伸べ、彼のす べての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません。』主は サタンに仰せられた。『では、彼のすべての持ち物をおまえの手に任せよう。ただ彼の身に手 を伸ばしてはならない。』そこで、サタンは主の前から出て行った。(ヨブ1:6〜12) 
           このヨブ記の記事は、サタンが人格であることを明確に示しています。
           
          
           このようなことに注目する理由は、一般には聖書のように「霊」というい言葉は使われず、「人
           
          格」という言葉が使われて居るからです。しかも「霊」=「人格」と明快に述べている著書は少な い野です。 
           広辞苑を開いてみると、「人格」という言葉を説明する見出しは4つありますが、二つに大別さ
           
          れます。その一つは、"人柄"ということであってその人の品性とかといった姿を示すものとして 使われていると言うことです。もう一つは、"道徳的行為の主体としての個人。自立的意志を有 し、自己決定的である個人。」とあります。人格ということばが登場した時どちらの意味で使わ れているか都度判断する事が必要です。聖書のいう「霊」は後者の意味に相当します。 
          (以下次号)
           
          
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