「同労者」第43号(2003年5月)            目次に戻る     表紙に戻る

旅行記

― 聖地旅行見聞記 (25) ―

森聖泉キリスト教会  牧師 秋山 光雄

聖地旅行日程    1986年11月14日〜11月25日 (13日間)
日/曜日 出発地−到着地 主な訪問・見学地
24/月 エルサレム・チューリヒ
  (コンチネンタルホテル)
テルアビブ、聖母子教会、スイス・チューリヒ工科大 学、チューリヒ湖


11月24日(月)
予定通り早朝ホテルを出発。エルサレムを去るにあたって私が祈りの指名を受けバスの中で
祈りを捧げた。テルアビブ空港の出国に当たっては今までにない厳重な検査を受けた。係官
は婦人で(エジプトやイスラエルでも入国検査は婦人だった)一人一人が河谷氏の通訳で質問
され、その後荷物を開け検問するのである。私の場合ラジカセ、双眼鏡、水筒が念入りに調べ
られた。いわゆる爆発物のチェックである。ともかく大変な時間を掛けての検査である。もちろ
ん私たちは河谷氏から事前に関門突破の条件を教えられてこの検査に臨んだのであった。
@全員、日本語以外分からないことになっている。だから河谷氏の通訳が終わるまで下手に
答えてはならない。
A通訳を通しての質問には大きく首を縦または横に振って意思を表すこと。ジェスチャーは大
きく示すこと。
B不審な態度を示すな。自然体で振舞うこと。
そんな中で傑作だったのは最長老の石神さんであった。彼は「アナタは、拳銃その他の危険物
を持っていますか?」に対し「うん、うん」とばかりに首を縦に振り肯定のジェスチャーを何回も
示したということである。後でこの話を聞きながらみな腹を抱えて大笑いしたが中々愉快な光
景だったと思う。残念ながら私はその現場を見なかったが石神さんの真面目な顔が浮かんで
楽しい思い出の一つだった。
8時15分、テルアビブ空港を発って快晴の地中海、エーゲ海を抜けてスイスのチューリヒに向
かう。多分エペソ付近と思われる海岸をカメラに収める。


エペソ付近と思われる海岸


リンマート川

 チューリヒ着後、用意されたバスに乗り込み市内見学。中心街、リンマート川にかかるケー橋
からの眺めはチューリヒ最高の景観とか。ジュネーブでもそうだったがスイスは世界の銀行が
集まっている国とか。また時計も名物のひとつ。世界一の大きさと言う直径8メートルの大時計
が尖塔のあるリンマート河沿いにあった。ノーベル賞受賞者60人以上を出していると言われる
工科大学ではバスから降りてキャンパスを歩き高台から市内を展望した。2、300メートルしか
ない間を上り下りするケーブルカー、四両連結の風変わりな市内電車にもお目に掛かった。ガ
イド嬢(日本人)も一生懸命ガイドしてくれるが聖地で胸の奥まで焼き付けられていた感動と印
象、名ガイドと満足感に触れた私にはいかにチューリヒが水の都、風光明媚な街とはいえ何か
白けた感じにしか映らなかった。所詮それは信仰の琴線に触れる世界と神なき世俗世界との
違いで仕方無いことであろう。それにガイド嬢の"それはデスネ"の連発と"ネ、ネ"の連発やイ
ントネーション癖が耳障りだった。聖母子寺院(FRAU-MUNSTER)の中に入り見学。ステンドガ
ラスはジュネーブのサンピエール寺院と同じく美しかった。教会入口に置かれていた印刷物を
記念に頂いてきた。

チューリヒ湖


チューリヒの風景
 チューリヒ湖の彼方にアルプス連山が姿を見せていた。ガイド嬢は「みなさんはラッキーです
ネ、アルプスですネ、一年に70日位しかありませんですネ、昨日は雨でしたが今日はですネ、
美しく澄んでですネ、皆さんを迎えています」と言った。昼食はチューリヒ湖畔のレストランで済
ませ食後庭を散策、湖に延びた桟橋にはカモメが飛び交い投げるパン屑を上手にくわえ私た
ちを喜ばせてくれた。水鳥は湖にもリンマート川にもたくさん水面を賑わしていた。桟橋ではア
ルプスや湖をバックに写真をとる人が多かった。
 午後は早めに宿舎のコンチネンタルホテルに入った。一応の案内連絡の後、自由時間が与
えられ、それぞれスイスフランに換金して街に出たようだ。私も下川師引率のグループの後ろ
に付いて市内最大のデパートに行ったが買う意思もフランも持っていないので別行動で市内を
歩いてみた。

チューリヒ市内(路面電車)

帰りはちょっと道に迷いあるホテルで道を教えて貰い無事帰り着いたが言葉の通じない知らな
い街で。しかも時間が過ぎ辺りも暗くなり始めたのには、いささか不安になったものだった。
(この日の記つづく)




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