ると思います。教会の先生に伺うことは勿論一番ですが、それを独り占めしないで、すこし公開 してください。それを皆で考えると、きっと皆さんにとって益になると思います。 質問の送付先は巻末にあります。 先月の質問の回答例(作成者:野澤) R.A.トーレイの「聖書の教え」に整理されている項目を引用して、イエス・キリストの品性に ついての説明を続けます。 <イエス・キリストの品性> 1.3 イエス・キリストの聖潔(ホーリネス)そのものはいかに表れたか (イエスの聖潔は、イエス・キリストの心を持ち、彼の歩んだように歩むことを目指す者の指標 になります。) (1)イエス・キリストが義を愛し、罪を憎むことによって 「あなたは義を愛し、不正を憎まれます。それゆえ、神よ。あなたの神は、あふれるばかりの喜 びの油を、あなたとともに立つ者にまして、あなたに注ぎなさいました。」(ヘブル1:9) 義を愛するが罪を憎まないものは聖潔というには相応しくないし、罪を憎むだけで義を愛さな いものもまた聖潔に相応しくないのです。イエス・キリストは義を愛し、罪を憎むお方でした。 (2)言行によって 「キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。」(ペテロT2:22) 「わたしを遣わした方はわたしとともにおられます。わたしをひとり残されることはありません。 わたしがいつも、そのみこころにかなうことを行なうからです。」(ヨハネ8:29) 「彼がまだ話している間に、見よ、光り輝く雲がその人々を包み、そして、雲の中から、『これ は、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい。』という声がした。」(マ タイ17:5) 「わたしは、自分から話したのではありません。わたしを遣わした父ご自身が、わたしが何を言 い、何を話すべきかをお命じになりました。」(ヨハネ12:49) 彼は一度も罪を犯さず、いつわりを言うことがありませんでした。彼は常に父なる神のお命じ になったことを語り、父なる神の喜ばれることを行いました。聖潔は単に悪を行わないというこ とだけで成り立つのではなく、正しいことをことごとく行うということによって成り立つのです。 (私たちが潔めを求めるときに、あれは罪だからだめ、これも罪だからだめという点だけで戦 っているとしたら考え直す必要があります。) (3)誘惑に対する勝利によって 「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでし たが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。」(ヘブル4:15) (4)弟子達に完全を要求することによって 「だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。」(マアタイ5:48) イエス・キリストは罪悪との妥協は許されませんでした。 (5)罪人を厳しく叱責することによって 「しかし、忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、人々から天の御 国をさえぎっているのです。自分もはいらず、はいろうとしている人々をもはいらせないので す。」(マタイ13:23) 「しかし、イエスは振り向いて、ペテロに言われた。『下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔を するものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。』」(マタイ16:23) 「おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることが できよう。」(マタイ23:33) (6)罪から人を救い、義に導くために力の限りを尽くされることによって 「キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。そ れは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためで した。」(ペテロT3:18) 「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあ って、神の義となるためです。」(コリントU5:21) 「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えない で、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人と しての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われた のです。」(ピリピ2:6) (7)人々が救いを拒んで罪を離れない場合恐ろしい刑罰をもって審かれることをもって 「それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども。わたしから離れ て、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。』」(マタイ25:31〜46) 今月の質問 来月もイエス・キリストの品性について説明を継続します。 説明について、疑問点がありましたらお知らせ下さい。また、これらを離れた質問も歓迎致しま す。
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