「同労者」第44号(2003年6月)                  目次に戻る    表紙に戻る

論  説
 ― ペンテコステについて考えよう ―

「するとみなが聖霊に満たされ・・た。」(使徒2:4)

 今年のペンテコステは6月8日で、キリスト教関係の暦にはたいてい載せられています。聖泉
連合でも機関誌「聖泉」の毎年1月号に、連合の暦を載せています。その連合の暦には、199
9年までペンテコステの日が載せられていましたが、2000年以降載せられていません。単純
ミスであるとは思いますが、ペンテコステへの関心が薄れたのではないかと懸念をする次第で
す。
 「その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れをきよめる一つの泉が開かれ
る。」(ゼカリヤ書13:1)
 これが聖泉連合発足の際に掲げられたみことばであって、このみことばに聖泉連合設立の
目的は、これに参加する信者が罪と汚れからきよめられること、すなわち真の「潔め、聖潔、ホ
ーリネス」を与えられることであったことが示されています。
 この私たちの掲げている「潔め」は、ジョン・ウェスレーによって広く明らかにされたものである
ことは論を待ちません。神は彼の信じたこととその働きを嘉納し、祝福されました。それは、彼
の働きが長年にわたる信仰のリバイバルをともなっていることによって証しされています。私た
ちは神が嘉納されたことを軽視してはなりません。神のことばに書かれてある「救い」「潔め」を
軽視する人々は、その恵みから漏れることでありましょう。私たちは神が嘉納されたウェスレー
の教えを大切にしたいものです。
 彼は潔めとペンテコステの関係を以下のように把握していました。彼は日記にこう記していま
す。「弟、チャールズが以前"兄さん。あなたのペンテコステの日はまだきていません。"と言っ
たことがあったが、今、その時が来ている。」と。彼は自らの潔めについては全くと言っていい
ほど語りませんでした。しかし、この一言の中に彼が潔めを経験していたことと、現在私たちが
受ける潔めは、かつて使徒達がペンテコステの日に与えられたものと同じものであると理解し
ていたことが示されています。
 ペンテコステには音と火のように見えるものとの異象がともないましたが、それに気をとられ
て本質を見失わないようにしましょう。ペンテコステを経験したイエスの弟子たちは、罪と汚れ
を潔められ、聖霊に満たされたました。これがペンテコステの本質的な出来事です。彼らは聖
霊によって霊的理解力が与えられ、また働きのために力が与えられました。
 はじめてのペンテコステの日と同様に、またウェスレーのペンテコステの日と同様に、今も私
たち自身のペンテコステの日があるのです。謙ってそして熱心をもってそれを求めるお互いで
ありましょう。「激しく攻める者たちがそれ(天の御国)を奪い取って」(マタイ11:12)いるのですか
ら。


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