「同労者」第44号(2003年6月)             目次に戻る     表紙に戻る

聖書の植物

− 樹 木 (5) −

 写真と斜体の解説文は、廣部千恵子氏のホームページ「聖書の植物」から同氏の許可によ
り掲載。詳細はホームページ、 http://www2.seisen-u.ac.jp/~hirobe/2002tree5.htm  
または、「新聖書植物図鑑」(廣部千恵子著、横山匡写真、教文館発行)をご覧下さい。 



ナツメヤシPhoenix dactylifera  ヤシ科ナツメヤシ属

イその翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞き、 なつめや
しの枝を持って迎えに出た。そして、叫び続けた。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝
福があるように、イスラエルの王に。」(ヨハネ12:12〜13)

この後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まっ
た、だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、
玉座の前と小羊の前に立って、大声でこう叫んだ。「救いは、玉座に座っておられるわたしたち
の神と、小羊とのものである。」(ヨハネの黙示7:9〜10)


神に従う人はなつめやしのように茂り レバノンの杉のようにそびえます。(詩篇92:13)


あなたの立ち姿はなつめやし、乳房はその実の房。 なつめやしの木に登り 甘い実の房をつ
かんでみたい。(雅歌7:8〜9)


引用箇所からも分かるように、なつめやしは、優美、端麗、勝利、祝福などのシンボルとして聖
書に書かれている。イスラエルの民がモーセに率いられてエジプトを脱出した後、砂漠をさまよ
いエリムに着いた時、そこには12のオアシスと70本のなつめやしがあったと記されている(出
エジプト記15:27)。長い旅の疲れの後に見たこのエリムのオアシスと鈴なりのなつめやしの
実はどんなにかイスラエルの民に喜びと希望を与えたことであろう。今でもシナイ半島を旅する
と、当時のように広大な砂漠の所々になつめやしが群生している。そのような所には決まって
オアシスがある。申命記34:3に「なつめやしの茂る町エリコ」と書かれているように、昔はもっ
と広範囲になつめやしがあったのであろう。ツロやシドンを含む地をフェニキアphoeniciaという
が、なつめやしのある土地という程、昔はこの地になつめやしが茂っていたようである。なつめ
やしのところを以前はしゅろと翻訳されていたが、これらは全てなつめやしで、新共同訳は歴
代誌下28:
15のしゅろを除いてそうなっている。イザヤ9:13および19:15はkipah(hP'Ki)をしゅろの枝と
している。kipahは枝や葉のようなもので、必ずしもなつめやしを意味しないかもしれないが、し
ゅろとはしない方がよいであろう。ヨブ記15:32は同じkipahが枝となっている。




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